HUNTER×HUNTER特集 第4弾 グリードアイランド編〜ジンの愛と大いなる遊び〜

HUNTER×HUNTER特集 第4弾 グリードアイランド編〜ジンの愛と大いなる遊び〜

 

HUNTER×HUNTER特集 第3弾のおさらい

ヨークシンシティにて久々に集合した、ゴン・キルア・クラピカ・レオリオ。年に一度行われるオークションに、幻影旅団が介入する。ハンター試験でヒソカから情報を聞いていたクラピカは、幻影旅団に復讐する為、マフィアに所属してオークションに参加する。このオークションには、ゴンの狙いである「グリードアイランド」と、クラピカの狙いである「緋の目」が競売にかけられる。
幻影旅団の狙いは、オークションに出されるお宝。仲間の目である「緋の目」を巡り、クラピカの復讐が始まる。

高額なグリードアイランドを落札する為にも、金稼ぎをしていく中で、ゴンとキルアも幻影旅団に辿り着き、捕まってしまう。クラピカは、対旅団の為に生み出した念能力によって、旅団の一人ウボォーギンを捕え、殺した。仲間を殺された旅団はクラピカを狙い、ゴンとキルア、レオリオもクラピカの計画に協力する。旅団の頭であるクロロを潰せば旅団は壊滅するはずが、旅団は「生かすべきは個人よりクモ」という考え方で、クラピカの狙いが外れる。自分のミスで捕まったゴンとキルアを取り返す為、クロロと人質交換することになり、ヨークシンでの戦いは終幕を迎える。

詳しくはコチラから↓

HUNTER×HUNTER特集 第3弾 ヨークシンシティ編〜幻影旅団の登場〜

 

ゴンとキルアは、当初の目的であったグリードアイランド(以下G.I)を狙うが、あまりに高額の為、買うよりもプレイヤーとして参加することを思いつく。
二人は念能力の必殺技である「発」を身につけ、見事合格するのだった。

 

グリードアイランドとは

HUNTER×HUNTER信者でも人気が高いこのシリーズ。カードを使ったゲームで、指定ポケットのカード100種類をコンプリートするとクリアできる。

舞台は「念で創られたゲーム」の中。ヨークシンシティ編で、オークションでは落とせなかったが、ゴンキルの二人は念能力を磨き、必殺技を身につけたことで、プレイヤーとしてゲームの世界に入ることができた。

ゴンの父である、ジンが中心になって創ったこのゲームの中に・・・

ゴンにだけ送られた、ジンからのメッセージ

「このゲームの中に俺を探すヒントはない。ただ、ゲームと仲間を自慢したかっただけだ。だから、このゲームをとにかく楽しめ!」

既に何人もが死んでいるような過酷なゲームなのに、ジンのメッセージは、「楽しめ」というものでした。

本来ゲームで使われるスペル自体、危険なものは何一つありません。
危険なのは、カードを奪いあったり、ゲームの報酬を得るために行われる「プレイヤー狩り」の存在です。

ヨークシンシティ編では幻影旅団。このG.I編では「ボマー(爆弾魔)」が悪役として、立ちはだかります。

 

GREED ISLANDの意味

「ボマー」に限らず、G.Iに魅せられた人たちがゲームに参加していますが、その目的は報酬やゲームクリアで得られるお宝であり、掻き立てるのは「人の欲」です。

なぜなら、このゲーム名「GREED ISLAND」の「GREED」の意味は、「欲張り」「強欲」と言う意味なのです。つまり、「欲張りな島」という意味ですね。

実はこのコラムを作って初めて「GREED」の意味を知りました(笑)一応、ゲーム製作者の頭文字を取って「GREED」ということではありましたが、意味が最適であることが驚きでした。流石は冨樫ですね!

 

グリードアイランド開始!

ゲーム開始早々、同じタイミングで参加した1人が殺され、他プレイヤー達は、攻略の為にチームを組みます。クリアの難易度もありますが、何よりカードの奪い合い、プレイヤー同士の殺し合いから守る為に。

ゲームをする上で、他プレイヤーの存在は切り離せないので、危険は当然かもしれませんが、「楽しめ」と言ったジンの言葉と、ゴンだけにわかるゲームの本質ではなく、殺戮や奪い合いが前提に動いていることが、ゴンには我慢ならず、チーム勧誘を断った。

ゴンのスタンスは、あくまでゲームを楽しみ攻略することだが、他プレイヤーは、人の欲に駆られ、奪い合いや殺し合いが前提とし、報酬のために攻略しようとするわけです。

結論から言ってしまえば、クリアできたのは、ゲームを一番楽しんだゴンだったわけです。

 

目が離せない修行シーン

大抵「修行シーン」というのはつまらないものです。
なので、あまり修行シーンというのは導入こそ描かれますが、技を覚えそうだったり、コツを掴むタイミングだったり、要所要所だけ描かれて、詳しく描かれることはありません。だって、地味なんだもん(笑)

しかし、HUNTER×HUNTERで描かれる修行シーンは、面白いんですよね。もちろん全てを描くわけではないですが、ゴンキルの成長度合いがわかりやすく、はじめはパートナーの振りをして近づいたにもかかわらず、なんだかんだ念の修行をおこなう教師役になるビスケの二人を教える心情が表現されているのもわかりやすくていいです。さらには、ビスケはジンの意図も汲み、このゲームがいかにゴンの為を思って作られたか。ゴンの成長度合いに相応しい構成であることを、ビスケを通して伝えられます。それは、まさに不器用な父親の愛を表現しているわけです。だから面白く、飽きずに見られるんですね。

さらには、「念」という存在が複雑且つ巧妙に作られているということです。念を覚えて使いこなすのがどれだけ難しいかということが、しっかり練られていることが大きいです。それが強さの理由にもなっているし、神・冨樫たる所以なのでしょう。

HUNTER×HUNTERの作中でも、「修行シーン」が一番描かれているのがこのグリードアイランド編です。第2弾で紹介した念の応用も、このシリーズで詳しく描かれて、身につけていきます。

プレイヤー審査でも、ゴンはウイングさんのアドバイスを得て、自力で「硬」を覚えました。一部にオーラを集中する「凝」を応用して、拳にオーラを集中し、拳以外はオーラを閉じることで、驚異的な威力となり、合格となりました。
キルアは変化系能力と、育った環境で培った特異体質によって、オーラを電気に変えるという天才的な技を身につけました。

ビスケという、念を教わったウイングの師匠に出会い、更に基礎体力と念能力を磨くことができ、「周」に気付き、「堅」を覚えました。さらには、「硬」は諸刃の剣にもなる為、戦闘攻防力となる「流」を身につけました。この、後からあれが◯◯だったんだよ、っていうのがいい師匠っぷりですよね。教えずに教えるような。

このような、念による強さの意味づけができており、ゴン達がどんどん強くなっていく様が、観ている私たちにもわかるようになっているから、退屈な修行も面白く見れるのですね。

ゲーム攻略に繋がった修行

ビスケに念修行を教わること約3ヶ月。ゲーム外の世界では年に一度のハンター試験の時期の為、キルアは再度ハンターライセンスを取得するべく、一度ゲーム外に出て試験に参加するも、急成長したキルアは、いとも簡単にハンター試験に合格するほどになりました。

ネテロはその姿に「闇の住人キルア。大きく成長して戻ってきたようだの」と評する。不運にも、ヨークシンシティ編で仲間になったぜパイルも試験に参加したが、圧倒的に成長したキルアによって、不合格となった。というより、自分以外の参加者全員を一瞬で気絶させて、キルア一人だけ合格するのだった。

ゲームを楽しむ為にはもちろん、ゲームを攻略する為にも、実際に存在するプレイヤー狩りに対抗する為にも、やはり強さが必要です。ビスケも、ゲームクリアの前提として強さが必要だと言い、修行をつけました。そもそも、最初はゴンキルの仲を裂こうとして近付いたのに、2人の才能と人柄に惚れて、修行をつけてくれたのですね。

この場にビスケがいたことは都合がいいですが、そのビスケを仲間につけたのは、何度も言いますが、ゴンの魅力であり、はたまたキルアとの友情があったこそです。

 

ゴン対レイザー

ジンと共にG.Iを作ったゲームマスターのレイザー。
最後のドッヂボール対決は、作中でもトップクラスに見ものなバトルです。

ゴンがジンの息子だからこそ本気で臨み、ジンからも「ゴンが来たら、手加減するな」と言われており、このゲームの締めくくりであり、ゲームを通じて成長してきたゴンの力が試されるに相応しいバトルということで、見所がいくつもあります。

ジンの息子と聞き、全力を出すレイザー。ゴレイヌの念能力。ゴンの成長した姿、キルアの光るセンス、ヒソカとの共闘。さらには、ゴン、キルア、ヒソカの合体技などなど、よくもまぁそんなこと思いつくなぁの連続で、G.I編で一番の盛り上がりだったのではないでしょうか。^_^

 

ゴレイヌという男

ネットでは大人気のゴレイヌさん。

その念能力は具現化系で、「黒い賢人白い賢人(ブラックゴレイヌ・ホワイトゴレイヌ)」という、二体のゴリラを具現化する能力。
よく冗談で、最強キャラとして挙げられることがありますが、最強ではないものの、かなりの強者であることは間違いありません。
なぜなら、チームを組んでやっと攻略できるゲームにも関わらず、1人で終盤まで進められた強さがあります。
そして、自分と入れ替えることができる「ホワイトゴレイヌ」、相手と入れ替えることができる「ブラックゴレイヌ」という高性能の念を2つも具現化できる能力。レイザーに簡単にやられてしまった為、最強論はネタ扱いですが、相当な使い手であることは間違いありません。自分の名前を念能力につけるくらいですから(笑)

クラピカ曰く、具現化系の修行は、具現化させるために、触ったり、嗅いだり、舐めたりする、といったことをするそうなのですが・・・と言うことは、ゴレイヌもゴリラに触り、嗅ぎ(笑)、舐め(爆)修行したのでしょう(笑)そのコラ画像がコチラ↓

とまあ、半分冗談としても、ゴレイヌの強さはどちらかというと生きる強さであり、戦闘に特化したものではないのでしょう。

他にも面白いコラ画像を紹介します。

ゴレイヌの人間関係相関図(笑)

ゴレイヌ×ゴレイヌ(笑)

「えげつねぇな」

ネットでもよく使われるようになった、ゴレイヌの名言(笑)

ある意味このゲームを象徴したセリフでもあります。というのも、レイザーと戦う為には、15人が「アカンパニー」というカードによって、ソウフラビに行く事が、イベント発生条件でした。ここで得られるカードは、3枚までのため、3枚を巡って、15人(もしくは数チーム)で必ず争いが起こるからです。

早くに見抜いたゴレイヌは、そのシステムに対して、「えげつねぇな」とボヤきました。キルアでさえその言葉の意図をすぐには見抜けず、ゴレイヌの洞察力に驚くほどでした。

確かに、えげつねぇシステムだとは思いますが、なぜそのようなシステムになったのかが疑問です。

 

ジンの狙いはなんだったのか

おそらくですが、このイベントに辿り着くのは一握りのプレイヤーだろうと思ったはずです。
そして、このゲームは、仲間とチームを組まないとクリアできないようにしていた事で、いかに信頼できる仲間を作る事ができるか、ということを試していたのだと思います。
ただ強いだけではなく、3枚しか得られないカードを、間違いなくゲットできるか。それをゴンに課したのではないかと思うのです。

結果、ゴンはツェズゲラチームと組み、暇していたヒソカと組む事で、レイザーを倒す事ができました。ゴンの力だけではなく、チームの力で。

ボマーでは、間違いなくゲットできなかったでしょう。ただ、ボマーの考え方は、手に入れたやつから奪う、というものなので、関係なかったかもしれませんが…^^;

 

ゴンの狂気

レイザー戦で見えるゴンのぶっ飛び具合

ツェズゲラやゴレイヌを簡単にあしらうような圧倒的に強いレイザーを、正々堂々と倒すと言うゴン。

ビスケとの修行で生み出した必殺技「じゃん拳(後のジャジャン拳)」で、ボールをパンチしレイザーにぶちかます。

一発目は、レイザーの念人形に向けて放ち、2発目はレイザーに向けるが、バレーのレシーブによってうまく対応される。

しかし、この2発によって、ボールを持っていたキルアの手は大砲の筒の役割だった為、その衝撃によりどす黒く変色する程傷ついてしまう。

ツェズゲラは、キルアの代わりを申し出る。しかしゴンは、キルアが傷つくのはわかっていても、

「キルアじゃなきゃダメなんだ。キルアじゃないと全力で打てない。」

と断る。

それを聞いたキルアは、嬉しいような恥ずいような何とも言えない表情をする。2人とも同じ思いで、最大限に念を込めて、レイザーに放つ。

2人の信頼関係は、美しく素晴らしくもあります。これは感動ですよねぇ〜って、今までは思ってたんですが、やっぱりゴンは相当ぶっ飛んでますね。一番信頼しているキルアだからこそ、思いっきり打てる。つまり、傷ついても構わないと思えてしまうのです。なんなら、キルアが傷ついていることを知っていたわけですから。もちろん、ただ傷つけるわけではないですが、目標達成の為なら、傷ついても構わないと、自分自身がまず思い、キルアが唯一無二の親友だから、同じように思ったのだと思います。

ゴンの人間力については、何度も紹介していますが、ゴンとガッツリ付き合うということは、相当覚悟がいりそうですね^^;

ゲンスルー戦で見えるイカれ具合

もう1つ象徴的なシーンは、ボマーであるゲンスルーとの闘いです。

成長したゴンであったが、殺しを目的とした念を作るような武闘派のゲンスルーとは、圧倒的な差があった。やられることを前提にした作戦通りに事が進むも、一矢報いたいゴンは、両腕を犠牲にして、ゲンスルーに一撃を食らわす。倒せるほどの攻撃ではないが、左手は吹き飛び、右手はかろうじて動く程度の傷を代償にした攻撃だった。

人を殺すことを厭わないゲンスルーでさえ、「思いついてもやる奴がいるか!?イカれてやがる!」と驚嘆します。

なぜこんなイカれたことができたのかは、ゴンの中では勝つことが決まっていて、できる確信があったからです。そして、「大天使の息吹」と言う完全回復できるカードで治るとわかっていたからです。

とは言っても、失敗したら元も子もないのですが。そんな一種の賭けであっても、ゴンの中では未来が確定していたから、「賭け」でもなかったかもしれませんが、まぁ普通ではできませんよね。

「わかってても普通はできない」

実際には手を犠牲にすることはできないかもしれませんが、そういうことをやれちゃうのが「ジョーカー」でもあり、「普通」や「常識」から飛び抜ける要素なのかもしれませんね。

 

ゴンの土壇場の発想力

ゴンは、追い詰められた土壇場に、これしかないというような打開策を思いつきます。

普段のゴンは大概のことはズレてたり、キルアに正されることが多いのですが、ここ一番の時は、誰も思いつかないような、第3の手を思い浮かべたりします。

ハンター試験でも、5人チームで行う3次試験の終盤、合格に間に合うが2人しか入れない扉と、全員合格できるが制限時間に間に合わない扉があり、当然皆が2人が合格できる扉に入りたいた為、いざこざがおきます。そこでもゴンは、5人が不合格になる扉から入り、壁に穴を開けて2人が合格できる道に入るという奇策によって、5人とも3試験を突破しました。

旅団に捕まった時も、ノブナガが見張っていて、キルアが冷静さを失っている中、ゴンは木造蔵の殺し技で覚えた「ヨコヌキ」によって、壁を蹴破り、難を逃れることができました。

レイザー戦でも、怪我をして手が使えないキルアとヒソカの能力を生かし、ゴンと3人で合体技を考え、レイザーのアタックを受け止めることができました。

こういう柔軟な発想はキルアにはなく、ここぞという時にはゴンが道を拓く、という絶妙なバランスのコンビでもあります。

ゴンは自分だけ助かりたいとかそういう計算がなく、本気で相手を信じることができるからこそ、思いつくのかもしれませんね。

 

キルアの急成長

レイザー渾身のアタックを、ゴン、キルア、ヒソカの3人の合体技で、立ち向かう。

ゴンが止め、ヒソカが覆い、キルアが支える。この合体技は、言い換えれば、ゴンの勇気、ヒソカの技術、キルアのセンスの融合でしょう。

その中でも、キルアの役割はが一番難しく、見ていたビスケも驚嘆していました。精密な念の操作。それは、誤差0.1%を要求されるほど。強くても弱くても失敗してしまうほどの作業だったのが、それをやってのけたキルアに対して、ビスケは「あたしがあの域に達したのは20代後半だわさ」と賛辞を心の中で送っています。

キルアはまだ13歳。暗殺一家の中でも一番のエリートと言われる所以ですね。

 

ヒソカの嘘

・・・と言いながら、ヒソカの嘘自体はどうでもいいんです(笑)。
ビスケがヒソカを見て、このように言います。

「嘘つきには2種類いて、意味ある嘘をつくタイプと、意味のない嘘をつくタイプがいる。」と。

特に三人は変化系で、ヒソカ式オーラ診断では変化系は「気まぐれでウソつき」ということですが、ビスケやキルアは前者で、ヒソカは後者だと言います。

個人的には、嘘には「自分の為につく嘘と、他人のためにつく嘘」の2種類があると思っています。

大体のウソは、自分の為につく嘘だとおもいます。誘いを断るとか、遅刻した言い訳とか、自分を正当化したり、自分を守る為につきます。

他人のためにつく嘘というのは、簡単に言えばサプライズだったり、傷付けないような優しい嘘だったり、その人の立場や誇りに配慮したものだったり、その裏に愛があることが多いです。

あとは、単純に相手を騙す為の嘘ですね。ただこれは、自分の為につく嘘だと言えます。

他人のために嘘をつくことは、一概に否定できませんが、自分を守る為の嘘は、やはりあまり良いものではないですよね。他人を騙すことはできても、自分自身を騙すことはできないですもんね。自分を守る嘘は、自分の心を騙すことでもあり、それはいずれ後悔することになるでしょう。

とは言っても、少なからず自分に嘘をつくことはあると思います。そもそも、人間は嘘をつく生き物であり、嘘をつけるから、ここまで人類は進化したとも言えるんです。(『ホモ・サピエンス全史』を参照)
虚構を信じることができたから、人類は他の動物とは違う進化を遂げられたのです。
人間と動物の違いは何かと言われたら、「嘘をつけるかつけないか」と言えるのかもしれません。

話を戻しますが、まずは、嘘をついた自分を否定せず、一旦認めることが大事だろうと思います。それが自分に正直に生きる第一歩だと思います。嘘をついたとしても、それが自分を守るための嘘ならば、嘘をつき続けるより、はっきり認めた方が、苦しまずに済むはずです。

ほんと、どっかの大学とか、どっかの協会の偉い人にもよく考えてもらいたいものです(笑)

 

「嘘」をつくのは悪いこと?

以前「PSYCHO-PASS(サイコパス)」というアニメのコラムでも「嘘」について取り上げたのですが、自分の為につく嘘は、良くないとは思いますが、絶対に嘘をついてはいけない、という考えも良くないと思います。

人はどうしても嘘をつく生き物で、嘘をつくから人間だとも言えると述べました。そういう意味では、私は時には嘘をついてもいいとは思います。「PSYCHO-PASS」で述べたように、仮に嘘を絶対についてはいけない世界になったら、その方が殺伐としたごまかしのきかないディストピアになると思うし、嘘がつけないのであれば、人間ではなくなるかもしれません。

人は弱い生き物です。そして、理性を持った知的生命体です。嘘がなければ、おそらく人の心を守ることはできなくなると思います。そうなれば、人は動物化して嘘のない世界で生きるしかないのかもしれません。それは退化であり、元も子もありません。

嘘がいけないのは承知の上で、嘘をつくのは仕方がないと思います。ただ、嘘をついたままにしていてはいけない、ついた嘘に責任を取らなければいけない、いつかは必ず自分自身と向き合わなければいけないと思います。

その覚悟があるのなら、時には嘘をついたらいいんじゃないですかね。今世間で起こっている様々な出来事をみれば、嘘をつくことの代償がわかるはずです。そして、バレないと思うから嘘をつくのでしょうけど、自分自身にはバレてる訳です。

ただ、馬鹿正直に生きて、嘘をつけず、嘘を見抜けず、苦しみの中を生きるならば、自分を守る嘘をついてもいいとは思います。でもそれは一時的なものであり、いつかは自分自身と向き合うべきだと思います。そして、誰かを巻き込んだのなら、その責任を追うべきだろうと思うのです。

ちなみに、「PSYCHO-PASS」のコラムはコチラ↓

サイコパス【PSYCHO-PASS】 社会と生き方についてメスを入れる新感覚サイコアニメ

 

ジンの愛

G.Iは、発売されて10年以上もクリアした人がおらず、クリアしたのはゴンだった。

もちろん、主人公ということが第一ですが、このゲームはゴンの為に、ジンが自慢する為(笑)、ゴンを育てる為につくられました。ハンターとしての自慢であり、父親の愛によって作られたのでしょう。

そして、所々に、争いを生むような設定やシチュエーションがあり、徒党を組んだり欲に絡むプレイヤーにはクリアできないようになっています。

もっと言えば、ゲームとして楽しもうとする人しか、クリアできないようになっているのです。最後に得られるカードは「99種類のカード入手にまつわるクイズ」だからです。これでは、ゲンスルーのようなプレイヤー狩りでは入手できないようになっているのです。

ただ、このプレイヤー狩りのようの危険なプレイヤーが現れることは、ジンには想定済みだったはずです。そんな中で「楽しむ」為には「強さ」が不可欠です。ハンターになって念を覚え、どの成長段階でゲームをプレイするかは、ジンにはわからなかったはずですが、ある程度ゴンの行動を読み、狙い通りに動かしました。

「ハンターになって念を覚え、ミトさんに報告しに帰る。そこで、メッセージを聞く。そしたら、必ずグリードアイランドに食いつく。その段階では、念の基礎しかまだできてないだろう。」

なーんて想定していたはずです。ストーリーの流れも完璧ですしね。

だからこそ、この物語自体には必要ない怪物の存在がいて、攻略するごとに強くなるようにしていたのだと思います。
ビスケットがいたことは、ラッキーだったでしょうが、ゴンのことだから、誰か協力してくれるだろう、くらいは思っていたのでしょう。

そんなジンの思惑をビスケは見抜き、成長に必要なことを教え、ゲームを楽しめる実力を身につけることができました。

ゴンと他プレイヤーの大きな違いは、クリアの報酬や、持ち帰ることができるアイテムには何の興味もなかったことです。ゴンにあるのは「ジンに近づく」こと。これは、ゴンにしかない目的で、実はゴンにしかクリアできないようになっているとも思います。

何をするにしても「本来の目的」は、忘れてはいけないのでしょう。人は色んな欲や変化によって、往々にして脱線するものです。ゴンも漏れなく脱線するのですが(笑)、そこは、キルアが手綱を引き、キルアも脱線する時は、ゴンが手綱を引きます。

ゴンだけでこのゲームに望んでいたら、間違いなくクリアできなかったでしょう。
ジンは、「仲間と作ったこのゲーム」を自慢したかったのです。つまり、仲間を自慢したかったのだと思います。だからこそ、ゴンにもいい仲間ができると踏んでいたのでしょう。

きっとジンは、ゴンがジンの意図を汲み取り、楽しむことを予想しながら作ったのでしょう。こんなんやったら驚くだろうな、とか、俺にはこんな仲間がいるんだぜ、とか。おまえにはどんな仲間がいるんだ?とか。さらには、ゲームを作った仲間にも、息子のゴンを自慢したかったのでしょう。

ゴンが人たらしだということは何度も述べてきましたが、何よりジンも天性の人たらしで、G.Iを制作した仲間はもちろんですが、ゲームマスターであるレイザーは、元死刑囚でした。幻影旅団でさえ、「強いな」と認めるほどでしたが、なぜそんな凶悪犯がジンの仲間になり、ゲームマスターになったのか?

それは、誰からも名前で呼ばれなかったレイザーを、ジンは名前で呼び、他の誰でもない唯一無二の「レイザー」として存在を認めていたからだった。レイザーが心から望むことを、自然と当たり前のようにしていたからこそだと思いますが、ゴンの人たらしは、父親譲りだったんですね!

ジンの子育てとは

ジンは、何一つゴンを育てていません。ですが、誰よりもゴンのことを信じているのです。
それはきっと、自分の息子だからであり、何より自分を信じているからなのでしょう。一見、いや、かなり無責任で父親の資格のない親なんですが(笑)、ジンとゴンにとっては、理想的な親子関係なのでしょう。

もしジンが、自分の夢に生きず、苦手な子育てに勤しんでいたらどうだったか。
ゴンにとっては嬉しいことだったかもしれませんが、今のようなジンを追う姿や、憧れることはなかったでしょう。そして、ハンターになることもなく、物語は動かなかったかもしれません。それに、ジンがいなかったことで、ミトさんがいてくれました。

ついつい人は無い物ねだりをしてしまいがちですが、ものごとは面白いもので、何かはなくても、何かはあります。捨てる神あれば拾う神ありということもあります。望むものが手に入らなくても、代わりのものがあるはずです。望むものが必要なものとは限りません。意外と、望んでいなくても、今、手の中にあるものこそが、必要なものなのかもしれません。「わらしべ長者」のように。それに、もしかしたら「手に入らない」ことが必要、ということもあるかもしれませんね。

どちらにせよ、その時にはわからないことでも、後になってわかることも沢山あります。今は嫌なことでも、後になって嬉しいことに変わることだってあります。だからこそジンは「ゲームを楽しめ」「道中を楽しめ」と言ったんだと思います。報酬を目的にし、ゲームクリアの為にプレイするのではなく、目の前のあるものをプレイ(楽しむ)することが、結果的にゲームクリアと報酬に繋がるのだと思います。

実力の伴わない報酬は、結局身を滅ぼしてしまうものです。「名を捨てて実を取る」からこそ、結果的に「名声」も得られるのかもしれませんね。

話を戻しますが、あくまでゴンの物語は、ジンに会うことが目的で、その道中が、HUNTER×HUNTERの物語の根幹だと言えます。

家族だから、一緒にいなきゃいけないとか、子育てをしなきゃいけないとか、それを否定するつもりはさらさらありませんが、もしもジンが、やらなきゃいけないから自分を殺して子育てをしていたら、この物語もグリードアイランドも生まれません。

子供と一緒にいようがいまいが、父が我が子を愛し、信頼することが大事なことで、その在り方は人それぞれ、ということなんでしょう。父親であっても子供であっても、「自分らしく生きる」ことが中心軸にあることが最も重要なことだと思います。

 

グリードアイランド編が生まれたことの価値

皆さんご存知、冨樫はゲーム好きですよね!

G.I編は、ゲーム好きが高じて生まれたシリーズだと言われています。つまり、「ゲーム好き」だから生まれたシリーズなのですが、これこそが一番の価値ではないかと思っています。

冨樫は当然「漫画家」です。ゲームのプロではありません。しかし、ドラクエとかFFが出ると休載する、と言われるほどのゲーム好きです。だからこそG.I編が生まれました。ゲームでは一銭も稼ぐどころか、お金も時間も浪費しているはずです。ところが、ただ「好き」を突き詰めていた為、「好き」なことを漫画にして、多くの人に喜ばれ、結果的にお金にもなりました。しかも、これだけ面白いシリーズを生み出しました。これが大事だと思うんです。

上で述べたジンとゴンの話ではないですが、冨樫にとってゲームは遊びであり楽しみなものでしょう。それだけやってては当然生きてはいけません。しかし、「漫画家」であることで、ただの遊びが価値を生み出したわけです。おそらく、ゲームの漫画を描く為にゲームをやっていたわけではありません。しかし、「好きなこと」が仕事に活き、結果的に価値とお金を生み出しました。

 

映画「ベスト・キッド」に学ぶ

ジャッキー・チェンでおなじみ、映画「ベスト・キッド」のように、雑用や掃除をするだけで知らないうちに強くなる、というような修行がありますが、ああいうのって面白いと思うんですよね。強くなる、技を覚えることが目的ではありますが、全然違うことをしているのに、結果的にその技が使えるようになり、強くなっていた、というような。しかも雑用することで様々なスキルが身に付き、掃除もしてるから部屋も綺麗になってしまうという、一石三鳥でもあります。

もちろん人によってモチベーションも違うし、相性もありますが、「思いっきり楽しんで遊んでたら、結果的にこんなことできるようになっちゃいました!」っていうスタイルの方が、長続きもするし、より良い結果に繋がると思うんですよね。前回のコラムでダイエットにも触れましたが、ダイエットグッズなんかは、ほとんどこういう所を突いてますよね。

苦しいこととか、嫌なことをそのままやっても、一定の結果は出るにしても、それ以上は難しい所があります。しかし、大抵の人は、このサイクルにいるはずです。会社に勤め、言われたことをやる。必要な成果をあげる。もちろんそれは大事で必要なことだし、「仕事を楽しむ」ことはできると思います。それも一つですが、この「ベスト・キッド方式」は、ある意味「遊びが仕事を超える」方法なわけです。映画では実際、掃除や物造りをしたことで、空手をやっていたライバルを倒したわけですから。

「やろうと思ってできたことより、やろうと思ってないのにできちゃった」

このスタンスが、「ジョーカー的生き方」であり、ゴールを達成する過程で、面白く楽しい道中になるんじゃないかと思います。その為に必要なことのヒントが、このG.I編にはたくさん隠されていたように感じます。

旧作 新作

 

HUNTER×HUNTERに話を戻しますが、G.Iをクリアする為に「楽しむ」ことが必要で、楽しんだ結果、ゲームクリアにつながった。G.I編も、冨樫本人が楽しんだことで生まれた、ということに繋がるわけですね。

 

HUNTER×HUNTER 第4弾まとめ

グリードアイランドは、父としてのジンの愛であり、ハンターとしての自慢でもありました。ゲームを楽しむゴンを通じて、また多くの発見がありました。ジンとゴンの親子関係は、普通ではないし、間違いなく多くの人の見本になるものではありません(笑)。

しかし、二人の信頼関係からは、見本になるようなことが沢山あります。冨樫がそれを描きたいのかはわかりませんが、私には、そんな背景が感じられます。

G.I編はゲンスルーが敵役でしたが、珍しく人気の薄い敵役でしたね。幻影旅団とも違う、より悪に徹したキャラで、ゴンたちの前に立ち塞がりました。これは「必要悪」であり「倒されることをもって良し」とされた敵役でした。

カードゲームを題材にしたG.I編は、本当に完成度が高いストーリーです。冨樫自身、ゲームの漫画を描きたいと言っていたそうなので、その思いとゲーム好きが相まってできた名作だと思います。ゲームとは言え命がけなので、ただ遊ぶという感覚でもないし、壮大なスケールのゲームでもあるので、ゲームだということを忘れてしまいそうです。

もしかしたら、私たちが生きているこの世界も、「グリードアイランド」のようなゲームみたいなものなのかもしれませんね。

スペルカードはないですが、この世界や人生をそんな風に楽しんで道中を遊んでいけば、知らず知らずのうちに実力が身に付き、本当に信頼できる仲間が現れ、思いもよらない「お宝」が手に入るかもしれませんよ!?

 

 

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