ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第2弾 10話神回 命をかけた七日間〜究極の母の愛〜

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第2弾 10話神回 命をかけた七日間〜究極の母の愛〜

 

2018年冬期アニメで、唯一「神アニメ認定」した作品。

その溢れる溢れる魅力故に、1つのコラムに収まりきらないので、第2弾をお送りいたします!

 

ヴァイオレット・エヴァーガーデン第1弾の簡単なまとめ

第1弾のコラムはコチラ↓

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第1弾 「愛してる」を知るための物語

第1弾は、主に第9話までのストーリーを中心に取り上げてきました。
この第9話までというのが、この物語の大きな転換点となります。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンが、戦争によって両腕を失い、大切な人に言われた「愛してる」という意味を知るために、人の心を代筆する自動手記人形=ドールになることを決意する。

軍の武器として育てられた、まるで人形のような美しい少女は、感情というものがほとんどなく、ギルベルト少佐の命令の通りに生きてきた。
しかし、戦争によって少佐と離れ離れになり、自分の意思で、自分の足で生きていかなければならない。少佐の最後の命令でもあった「君は自由に生きなさい」「心から愛してる…」という言葉とともに。

ドールの仕事を通じて、多くの人々の多種多様な愛の表現に触れ、少しずつ「愛」を知り、感情というものが理解できるようになっていく。

そしてそれは同時に、自分が過去にしてきた大きな傷跡とも向き合わなければならなくなることを意味していた。

ヴァイオレットは、いずれ少佐と再会する為に「愛してる」の意味を知りたくてドールとして働くが、やがて少佐の死を知ることになる。

少佐の存在は、ヴァイオレットが生きる目的であり、意味でもあった。

ヴァイオレットを身請けしているホッジンズも、少佐の死を伝えられずにいたが、ホッジンズにできることは、ギルベルトの意思を継いで、ヴァイオレットを支えることだけだった。

生きる目的だった少佐を失い、戦争で沢山の人の「これから=未来」を奪ってきたこと。その事が、支えのなくなったヴァイオレットを重く深く苦しめるのだが、ドールになって沢山の人の心を届けてきたことも、変えられない事実である。

ヴァイオレットは、自分のしてきたことをどちらも受け入れ、少佐の命令がなくても、自分の意思で生きて行くことを決意したのだった。

第2弾は、自分の意思で歩き始め、「愛してる」の意味を知り始めたヴァイオレットの、次なる物語をお送りしていきます。

命をかけた究極の母の愛(第10話 神回)

ある日ヴァイオレットは、依頼を受けた女性のもとに出向いていく。

そこには、小さな人形と一人遊びをするアンという可愛らしい7歳の女の子がいた。無表情で歩いてくる美しいヴァイオレットを見て、大きなお人形さんだと勘違いする。

依頼主はアンのお母さん、クラーラ。

クラーラは、ベッドに伏しており、体調が芳しくなかった。夫は戦争で亡くなっており、母と子、メイドの三人で暮らしていた。ちょうどヴァイオレットが来た時も、今後、屋敷をどうするかという話を親戚同士で揉めていた。

そう、クラーラはの身体はもう、あまり先が長くない。

ヴァイオレットは、そんな母クラーラの手紙を代筆に来たのだ。

いったい誰に送る手紙なのか?とアンは母に尋ねるが、

「遠いところにいる大切な人よ」

と答え、誰に送るのかはわからない。

アンは、母を訪ねるお客が嫌いだった。大好きな母を取られるからだ。

そして、ヴァイオレットの訪問時の挨拶で「私は自動手記人形です」と聞いて、ますます本物のお人形だと勘違いするアン。その姿がとても愛おしい。

ヴァイオレットに依頼した代筆期間は七日間もあるのだが、早々に代筆に取り掛かることになる。しかし、体調の良くないクラーラは、休み休みでないと作業に取りかかれない。その時だけ、アンは母と2人になれるのだが、クラーラは、ヴァイオレットの相手をするように頼む。優しくも厳しい母のしつけでもあった。

母を奪うお客が嫌いなアンだったが、人形だと勘違いしているアンは、ヴァイオレットのことを内心興味津々で一緒に遊ぶ。

アンと触れ合うヴァイオレットは、今まででは考えられなかったように、うまく相手をすることができるようになっていた。

しかし、いつも良いところでヴァイオレットは代筆でいなくなり、また一人遊びをするアン。代筆作業を覗くと、母は笑ったり、泣いたりしていて、心配が募るばかり。

なんで体調が悪いのに七日間も手紙を書くのか。誰に手紙を書いているのか、ヴァイオレットに聞く。しかし、守秘義務があるヴァイオレットには答えられない。ただ、母親と一緒にいたい、手をつないでいるだけでもいいと母に伝えてと頼むのだが、断ることしかできないヴァイオレット。

手紙を書く合間、アンは何度もヴァイオレットと一緒に遊び、その度にヴァイオレットの名前を呼ぶ。そこには、確かにヴァイオレットに対してのアンの愛が感じられた。

そして、手紙を書く作業中、何度も苦しそうになるクラーラを見て、アンはいてもたってもいられず部屋に入ってきて、

「もう止めて!どうして手紙を書くの!?どうせ私の知らない誰かの手紙なんでしょ!どうせお見舞いにも来ないような誰かよ!お母さんのことを本当に心配してる人なんていないのに!私より大事な手紙なの?」

と、思わず叫ぶ…

するとクラーラは、

「アンより大事なものなんてないわ。」

「お母さんは嘘ばっかり。だって、お母さんちっとも良くならないじゃない!すぐに元気になるって言ったくせに!私知ってる!お母さんがいなくなったら私一人よ!私はいつまでお母さんと一緒にいられるの!?これからずっと一人になるなら、手紙なんて書かないで、今私と一緒に居て!お母さん!!」

と泣いて母に迫るのだが、クラーラもやるせなく、泣いて謝るしかない。

アンは部屋を飛び出してしまい、すぐにヴァイオレットは彼女を追いかける。

アンを慰めるヴァイオレット。母の病気のことをわかった上で、我慢していたこと。それはとても強いんだということ。そして、苦しくても手紙を書くことには意味があるということを伝える。

しかし、アンが泣いていたのは、母を泣かせてしまったからだった。どうしようもない思いをヴァイオレットにぶつけるアン。そして、それをただ受け止めることしかできないヴァイオレット。

そんなヴァイオレットに、アンは行き場のない怒りを泣きながらぶつける。

ヴァイオレットをポカポカ叩きながら、アンはこう尋ねる。

「どうして手紙を書くの?」

 

ヴァイオレットは答える。

「人には届けたい想いがあるのです。」

 

「そんなの、届かなくていい!」

と、泣くアン。

 

ヴァイオレットは力強く言う。

「届かなくていい手紙なんて、ないのですよ…」

 

 

そして…

七日が過ぎ、手紙はついに完成した。

ヴァイオレットとお別れする時がきたアンは、ヴァイオレットの頬にお礼のキスをする。すると、「あったかい」と言い、彼女が人形ではなく、人間だと気付く。アンはもう人形としてではなく、人間としてヴァイオレットを好きになっていた。

ヴァイオレットを見送りながら、誰に書いたかはわからない、ヴァイオレットが書いた手紙を、読んでみたかったな、と心の中でつぶやく。

やっと母と二人になれたアンは、思う存分遊ぶ。何度も「アン」と優しく呼びかけながら、二人でお庭で遊ぶ姿、虫を取るアンの姿…
ベッドで一緒に寝て、「私のアン」と呼びかけ、幸せそうに寄り添う二人。そして二人の姿は消えていった…

クラーラのお葬式の日。参列の人が、一人、一人といなくなり、最後に一人取り残されるアン。

そして、8歳の誕生日を迎え、広い屋敷の庭に一人残ったアンの後ろ姿があった。

誕生日に亡くなった母クラーラからの手紙を手に持つアン。泣きながらその手紙を読み、初めて、あの七日間のことを知るのだった。
それは読みたかったヴァイオレットの書いた手紙であり、知りたかった母の想いがそこにはあった。

そしてまた、10歳に成長したアンの下に、母クラーラからの手紙が届く。

少し成長したであろうアンへの愛の思いが書かれていた。その手紙を読み、また号泣するアン。

18歳になったアンの下に愛の手紙がまた届く。

「恋をしてるのかしら。もう立派なレディーね。好きな人ができたかしら?」

と。そんなアンを好きになった青年が、花束を差し出し告白をする。アンを愛する存在が現れたのだった!

20歳になったアン。

「もう20年も生きたのね、すごいわ!大人になっても、たまには弱音を吐いてもいいのよ。あなたが不安になっても、私がそばにいるわ。」

と微笑み、その時、その時のアンに合う言葉をかける母の手紙。

アンが振り返ると、そこにはアンに駆け寄る夫になったあの青年と、二人の愛の結晶である赤ちゃんがいた。赤ちゃんを抱きかかえ、母になったアンが、子供のおでこにキスをする。アンの心の中には、同じようにクラーラにおでこにキスをされることが思い浮かぶのだった。

 

手紙には、

「アン、ずっと見守ってるわ。」

と、母の思いが綴られていた。

 

 

代筆の出張を終え、会社に戻ったヴァイオレットと同僚のドールたちの前には、なんと50通もの手紙が並べられていた。

そう、

母の愛の手紙は、今後50年に渡り、毎年アンの誕生日に届けられることになる。

クラーラは、病気で苦しみながらも、50年分のアンへの思いを七日間に渡り書き綴ったのだ。

アンの誕生日に50通の手紙が送られると聞き、同僚は「これから毎年届くのが楽しみね!」と言うが、クラーラの気持ちをわかっていて、アンの寂しい気持ちを知っていたヴァイオレットは、

「ただ、届く頃には、お母様は・・・。まだあんなに小さい・・・。寂しがり屋で、お母様が大好きなお嬢様を遺して。あのお屋敷に一人、残されて・・・。」

と大粒の涙を流しながら泣き崩れる・・・

手紙を書いている間、アンと遊んでいる間、ヴァイオレットは泣くのをずっと我慢していたのだ。母親の「愛してる」と、子供の「寂しい」を痛いほど感じて…

初めて感情を露わにして泣くヴァイオレットを、先輩ドールが支えながら静かにささやく…

「でも、届くのよ… あなたの書いた手紙が…」

 

どんなに遠く離れていても…

 

感動のラスト4分間

こんなに涙の止まらない4分間を私は知りません。何度観ても涙が込み上げてきます。

このコラムを書いている今も、涙が止まらず泣きながら書いています…

命をかけた母の愛と、母の愛を受けて成長し、幸せになっていくアンの姿。

そして、「愛してる」も「寂しい」も感じ、心から号泣するヴァイオレット。

これが究極の愛だとは言いませんが、少なくともアン本人にとっては、究極の愛だったんだと思います。

そして、そんな愛を一番間近で感じていたヴァイオレットは、初めて他の誰かのことで涙を流すことを知ったのです。

それは今までとは違う、一人の人間として成長したヴァイオレットの美しい姿でした。

あらゆる作品の中でも10話はトップクラスの神回

命をかけた母親の愛と、母を思う子供の愛。そして、成長し「愛してる」も「寂しい」も感じて涙を流すようになったヴァイオレットには、もう号泣です。

まさに、

「神アニメに神回あり」

と言えるのではないでしょうか。

しかも、この第10話は、色んな作品がある中でもトップクラスに感動した神回です。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を最初から見ていなくて、この回を観ただけでも感動してしまうような万能神回だと言えます。もちろん始めから見た方が、思い入れも強くなり、感動も大きくなりますが、それでも思わず感動してしまうほど、「愛してる」を描き切った回だと思います。

少佐に言われた「愛してる」、初めてドールが言った「愛してる」とも違う「愛してる」がそこにはあり、死しても尽きない母親の「愛してる」を、ヴァイオレットは知ったのです。

如何にしてこの神回が生まれたか?

「愛してる」を知るためにドールになったヴァイオレット。最初は、感情というもの、言葉ではなく心の中の思いというものがわからず、命令の通りにしか行動できない機械のようだったヴァイオレットが、第9話で、機械のようではあっても人間として大切に思っていた少佐の死を知り、自分の過去と向き合い、自ら命を絶とうとしても、自分のしてきたことを、良いことも悪いこともすべて受け入れ、人間兵器としての呪われた支配から解放され、少佐の命令からも解放され、自らの意思で、自らの足で歩き始めたからこそ、この神回は生まれました。

今までの、軍の命令に支配され、自分の意志で動くことができなかったヴァイオレットだったら、きっとこの母親の「愛してる」は理解できなかったでしょう。誰に送る何の為の手紙なのか。自分と過ごす時間より、なぜ手紙を書くことを優先するのか。きっとアンのその時の質問にも答えてしまっていたかもしれません。

でも、命令の通り、言葉の通りではなく、心で思っていること、その本心をすくい上げること、より深い感情を理解できるようになったからこそ、母の愛の手紙は完成し、アンへの秘密を守ることができたのでしょう。

そして、だからこそ、屋敷で手紙を書く間、クラーラの愛とアンの寂しさを感じ、泣くのをずっと我慢していたのでしょう。

人は、生きて行くうちに、色んなことをします。良いことも悪いことも、人を幸せにすることも傷つけることも。

そのどちらも事実で、どちらも消すことはできません。

ヴァイオレットは、軍人だった過去があり、たくさんの人の命を奪ってきた。その人たちにも、届けたい思いや、これからの未来があったはずなのに、その時は平然と命令の通りに奪っていた。そして自分の一番大切な人であるギルベルト少佐を守ることができなかった。

そして、自動手記人形=ドールとして、様々な人々の想いを手紙にして届け、たくさんの人を幸せにし、悦ばせもしてきた。それもまた事実なのです。

「人には届けたい思いがある。」

例え、償いようのない過去があっても、ヴァイオレットにできることは、ドールとして手紙を書き、それを届けることだった。

そのように、今までは兵器としての自分の存在、軍の命令によって、少佐という存在にも支配されて生きてきたヴァイオレットが、もちろん周りの助けや支えがありながらも、最後は自分自身の力で自らを解放していった。

人が何かに支配されて生きていて、ついにその支配から解放されると、これほどの感動が生まれるものなのですね。

それは、忌まわしき呪縛から解き放たれたヴァイオレットだからこそ見えたものでもあり、命がけの母の愛を、届けたい想いの詰まった手紙として見事に実現できたのです。

これはきっと、私たちにも言えることだと思うんです。私たちも、生まれて物心ついてから、良くも悪くも、自分の意志とは関係なく、親からの支配、家族の支配、学校(教育)の支配、社会の支配、国家の支配、メディアの支配、そして、一番やっかいな「常識」という名の支配を、気付かないうちに受けているんですよね。

もしかしたら、形は違えど、私たちもヴァイオレットのように、自分で物事を深く考えることをせずに、いつの間にか知らないうちに、有形無形の支配のままに生きているのかもしれません。

その時に一番大切なのは、

「人には届けたい想いがある」

ということではないでしょうか。

誰に言われたからでもなく、純粋に自分の意志で、この想いを届けたい!と感じる熱い感情こそ、むしろ今、私たちが生きている現代にこそ、必要なことではないでしょうか。

 

第10話から見られる「愛してる」とは?

50年分の愛を生み出した母クラーラのアンへの愛。それは死んでもなお、アンが一つ一つ大きくなっていく度に、送り届けられます。

この50年分の愛が生み出されたのが、病気に苦しみながら、命がけで手紙を書いた七日間にあります。

この母の愛は、ヴァイオレットがいたからできたことでもあると思いますが、アンを見ていて、その健気さや、母への愛、そして、いずれいなくなってしまうことへの寂しさ。そんな中でヴァイオレットに甘える姿。色んなところに感じるものがありますが、この七日間、アンが望んだのは、手紙を書くことではありません。アンが望んだのは、母と二人で過ごすこと。いつもお客が来て、その間は母を取られてしまい、一人遊びが上手になるばかり。

そんな時に現れたのが、お人形のようなお客さん。しかも今度は七日間も母を取られてしまう。アンにとって母と過ごす時間は限られています。だからこそ、母は元気なうちに、アンに手紙を残すことにしたのですが、アンにとっては、そんなこと望んでないし、知りもしません。

アンが望んでもいないようなことは、果たして「愛」なのでしょうか?

結末を見て、誰一人「それは愛ではない」と言う人はいないでしょう。

「愛してる」とは、必ずしも相手が望むものだけではない。と、この作品をみて感じました。

七日間も手紙を書き、アンの相手をしなかったのは、母クラーラの身勝手な一方的な都合です。七日間手紙を書かずに一緒に過ごすことも、立派な「愛」だと思います。そして、きっとそれは誰にでもできることだし、誰もが望むことで、母クラーラも、できることなら一緒に過ごしたかったはずです。

それでも、砂時計のような七日間を犠牲にしてでも、手紙を書き続けたことは、それが母クラーラにとって、一番したかったことだからです。

幼いアン、手紙がまだ届かないアンにとっては、それは寂しかったことだろうと思います。8歳の誕生日、初めて届いた母からの手紙を受け取るまでは、世界一寂しく、切ない日々を過ごしたんだと思います。

そんな中で受け取った母からの手紙は、アンにとって、世界一嬉しいことだったんだろうと思います。きっと成長して大人になっていくにつれて、その母の想いがわかっていったんだと思います。そして、自分も母になり、子供ができ、きっとクラーラのように、とてつもなく大きな愛を、子供に注ぐのだと思います。必ずしも子供が望む愛ではないかもしれませんが、クラーラから命がけの愛を受け取ったアンは、きっとまた同じように、命がけの愛を子供に残すのでしょう。

アンとゆっくり過ごすことも「愛」だし、アンとの時間を犠牲にしてでも手紙を書いた七日間は、「50年分の愛」を残しました。

どちらもアンの為を想う愛でしょうが、クラーラは決して目先のことにとらわれず、より大きな視野に立って、自分の都合を優先し、自分ファーストで貫いた愛だったからこそ、より大きな愛になったのは間違いありません。限られた時間だったからこそ、クラーラはアンの気持ちよりも自分の気持ちを優先できたのです。

そして、大事なのは、母の残した手紙がアンに届かなければ、アンに母クラーラの愛が届くことはありません。アンが母の手紙を受け取ったからこそ、それが「母の愛」となり、アンに届いたのです。少佐の支配から自分を解放し、自らの意思で歩き始めることができたヴァイオレットだからこそ、それを実現できたのだと思います。

 

実際にも、子供にビデオレターを残したお母さんの話があります。

このように、「愛」には色んな形があり、色んな伝え方があるからこそ、

「これこそが愛です」

というものはなく、

「それこそが愛です」

と言えるのではないでしょうか。

きっと「愛」は、相手に届いた瞬間に「愛」になるのだと思います。

つまり「愛」とは、自分の中にあるものではなく、自分と相手の中にあるものなんだと思います。人が一人では「人間」ではないように、自分と大切な人との間にこそ、その関係性の中にこそ「愛」はあるのだと思います。

その「愛」の想いを文字にし、手紙にするのが、自動手記人形=ドールであり、ヴァイオレットがしていることなんですね。

きっとヴァイオレットは、ドールをしていなかったら、「愛してる」を知ることはできなかったでしょう。

しかし、ドールというものは「愛してる」を知っているからこそできる仕事で、「愛してる」を知らないヴァイオレットにとっては相応しくない仕事だったのです。

しかし、自分の意思で「愛してる」とか何かを知りたいという強い願いを発し、自らドールになることを決心したからこそ、やがて「愛してる」を知ることができ、人と人の間に流れる「愛」をすくい上げ、素敵な手紙をかけるようになったのです。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第2弾まとめ

みなさんにとても残念なお知らせです。本来第1弾と第2弾だけでお送りする予定だったこの作品ですが、今回取り上げた第10話が神回すぎて、思い入れがありすぎて、キャパオーバーになってしまいました(笑)

それほど、この「1話」だけで、神アニメの「1作品」に匹敵する価値があると言っても過言ではないかもしれません。

よって急遽、次回はヴァイオレット・エヴァーガーデン第3弾をお送りすることを勝手に決定しました!!

まだまだ「愛してる」「感動」は終わりません!

というわけで、今回は超神回の第10話のみに焦点を当ててお送りしました。私MAXとカミィが感じたような感動をぜひあなたにも味わっていただければ幸いです。

クラーラのような愛ではないですが、私たちも自分ファーストで、誠に勝手ながら、みなさんに熱い想いを込めた「愛」を送ります!!(笑)

 

続きの第3弾のコラムはこちら

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 第3弾 「愛してる」を知ったヴァイオレットの、守るための戦い

 



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