永遠の0 平成最後の夏だからこそ、見ておきたい名作映画!

「永遠の0」 終戦記念の時期だからこそ、見ておきたい名作映画

 

8月15日は平成最後の終戦記念日でした。

今年は戦後73年。私自身はもちろん、もうすでに大半の日本人は戦争を知りません。あと数十年すれば、大東亜戦争を経験した方々はいなくなります。戦争経験者の語り部を受け継ぐ人はいると思いますが、生の声はなくなってしまいます。

ただ、ここでは、先の戦争の良し悪しの判断や、現実に戦争を体験された方々の本当の苦しみや痛みに対して、実際に戦争経験のない私がとやかくいえる立場ではありませんし、言うつもりもありません。

ですが、今回の映画を観たり、少ないながらも様々な方々の戦争体験を聞いたりしたことを元に、私なりの感じたことを話していきたいと思っています。

 

戦争とストーリー

あらかじめ述べておきますが、私は戦争を肯定はしていません。しかし、戦争が起きる根深い背景があることも、すべての争いごとをなくすのは困難であることも知っています。また、物事には必ず両面があるということも理解しているので、頭からヒステリックに否定するつもりもありません。なぜなら、戦争によって急速に科学技術は進化し、文明が発展するという一面もあることも確かだからです。

また、こうしてアニメやドラマ、映画などの作品レビューを書いているくらいですから、私や共同管理人のカミィさんは無類の「ストーリー好き」です。二人で年間どのくらいの量のストーリーを消費しているかと言えば、私MAXだけでも、日によっては「1D 1C(ワンデーワンクール)」という、一日にほぼワンクールのアニメ作品を消化してしまう特殊能力を持っています。(笑)

そして、我々の大好きな「ストーリー」の多くは、必ずと言っていいほど、その主人公本人が望む望まないにかかわらず、日常から非日常へと、半ば強制的に物語の流れ、運命の激流の中に巻き込まれていきます。

そう、ストーリーの始まりは、いつも「突然の出来事」や「抗えない運命」から始まるのです。

そう考えてみると、古今東西の神話や物語、アニメや映画などの題材となる設定は、思いのほか「戦争」を描いたものが多いということに気付かれるはずです。

ギリシャ神話や北欧神話などは、ほとんどが神々の争いを描いていますし、名作といわれる映画や舞台作品には、戦争の描写がとても多いです。

僕らの大好きな「ガンダム」シリーズも、ほぼすべての作品で、若い10代の少年少女たちが、なんらかの戦争に巻き込まれるところから物語が始まります。

ではなぜ、これほどまでに「戦争」という題材が多く使用されるのでしょう?

それは、ストーリーの本質は、「日常生活の破壊→非日常への参入」という、所謂「神話の法則」に則って進んでいくからなのです。我々は人間は、この「非日常性」というストーリーに、本能的にのめり込んでいく(夢中になる)習性を持っています。

戦争というものは、まさに日常生活の破壊であり、人間にとって、ある種の極限状態であり非日常です。そこは普段の生活からかけ離れた、特殊な状況や世界が展開する異常事態です。そして異常な状況だからこそ、そこには人間誰しもが持っている「良い面」も「邪悪な面」も、「素晴らしさ」も「醜さも」極大まで広がって展開していきます。

このように、人間の持つ「光と闇」両極端の部分が拡大しやすい状況には、実に様々な「ドラマ(ストーリー)」が生まれます。悲劇も美談も、男女の愛憎も、親子の愛憎も、憎しみと報復も、敵味方を超えた友情も生まれます。人間の素晴らしさと、人間の醜さを厳然と見せつけられます。これは国家という大きな視点でも、一人一人の個人という小さな視点でも同様です。

実際に、古今東西これほど「戦争」を題材とした物語が多いということを考えると、ある意味において、そこには我々人類が、共通して様々なことを考えたり学んだり、教訓にするべきことが数多く含まれているとも言えます。

もちろん、戦争が起こらないに越したことはありません。しかし、起こってしまうのなら、どうすればいいのでしょうか?

天災や交通事故でもそうですが、こちらが何もしなくても、地震や津波は起きるし、貰い事故は起きるし、たとえこちらが仲良くしたいと思っていても、周辺国の中には善意に満ちた国ばかりではないですし、日本が一生懸命「非核」を謳っても、諸外国の多くは、いまだに核を保有し、もし、どこかの国に核ミサイルを打たれたら、日本はお終いです。

まあ、このような政治的な部分は怖いところがあり、あまり踏み込んだことを言うと消されてしまう可能性があるので、これ以上は深くは言いません(笑)

ただ、今回紹介する作品のみならず、戦争映画から学べることや感じることは大いにあると思います。

「永遠のゼロ」は、公開されたのはもう5年ほど前になりますが、なぜこれだけ話題となり、人気となったのか。戦争映画は多数ありますが、この映画は随所に煌めく魅力が描かれているので、今更ながら、そういった魅力を述べていきたいと思います。

 

戦争映画の違い

日本は、第2次世界大戦の敗戦国となりました。8月6日には広島に、8月9日には長崎に原爆が投下され、他にも東京や名古屋など、至る所で大規模な空爆があり、何十万の命が亡くなりました。沖縄では、唯一、本土戦が行われ、多くの日本人が侍魂を見せて、米兵を恐怖させたとも言われています。(結果的に、沖縄戦で日本は心の折れない民族だと思われたが故に、原爆を落とされたとも言われています)。同時に、数多くの民間人(非戦闘員)の方々が亡くなった悲惨な戦闘でもありました。

沖縄戦を描く映画もありますが、個人的には『さとうきび畑の唄』という、明石家さんまさんが主役を務めたスペシャルドラマがあり、オススメです。『Life is beautiful』のような要素と、伝統的な戦争映画の要素を合わせた名作だと思っています。両方観てない方にはわかりにくくてすみません(笑)

アメリカの戦争映画

海外の戦争映画は、どちらかというと軍隊がヒーローになる描かれ方をしています。なぜならアメリカは戦勝国だからです。戦争を肯定しないまでも、戦争は、目的や理由はどうあれ、国による人殺しです。人を殺して勝ったのだから、大義名分として、それを良しとする為には、軍隊は必要なもの、格好良いもの、憧れられるものでなければならないのです。だから、海外というか主にアメリカの戦争映画は、単純な戦争ではなく、軍を正義として描く為に、仲間を助けたり、テロから守ったり、自然災害や宇宙人と戦うわけです。

日本の戦争映画

日本は敗戦国なので、アメリカの戦争映画のような作品はまずありません。日本がアメリカのようなヒーロー的な戦争映画を描いたら、炎上どころか爆上するでしょう。北野映画のようなバイオレンスな映画はありますが、戦争や軍隊を肯定するような、格好良くする映画はタブーな空気です。国内の左翼勢力はもちろん、韓国や中国なども黙っていないでしょう。この辺はただでさえ面倒臭いのに、戦争が絡むと、目の敵のように躍起になってきます。日本は、多くのアジア諸国を率いて大東亜戦争に臨み、負けました。韓国や中国からしたら、日本のせいで負けたと思うのでしょう。慰安婦問題や竹島問題などもありますが、それがあったとかなかったとか、ここで議論するつもりはありません。

単純に日本が正しいとか、悪いとか、アメリカが正しいとか、悪いとか、そんなものは見方や立場によって変わります。実際、正当性のあるところも、悪いところもあったはずです。難しいもので、正しいところを立てれば、悪いところが叩かれます。靖国参拝一つとっても、叩かれることが前提だったりしますが、韓国や中国の反応は、もはやビジネス批判な気もします。一部では、国内問題のすり替えとして、日本を批判しているとも言われています。

立場が変われば、正義は牙を剥く

話しは飛びますが、現在サードシーズンが始まっている、私が好きな漫画(アニメ)で「進撃の巨人」という作品がありますが、この作品も、人類の持つ根深い闇から発生する「憎悪の戦争」を題材にしていますが、このアニメのエンディング曲の歌詞に、以下のような個所があります。

「石を投げる者と 投げられる者には 

 容易に越えられぬ 柵がある

 立ち位置が変われば 正義は牙を剥く

 檻の中で吼えているのは 果たしてどちらか?

 

どうあれ、戦争というものは、色んな所に爪跡を残し、後々に大きな影響を残すものです。決して認められるものではありませんが、個人ではどうすることもできません。

そもそも、戦争は単純な人と国の争いではなく、それを仕掛けるものがいます。以前コラムで紹介した『ジョーカーゲーム』を観るとわかりやすいですが、その真相を知ってしまうと、戦争なんて本質的に尊いものでもなんでもないことがわかります。

一部の人にとって利益になる為に、戦争は引き起こされます。そして、国民は戦争に巻き込まれ、武器を持って殺しあうわけです。簡単に言えば、黒幕がいるわけです。

結局、戦火に遭う人は、ジョーカーゲームに巻き込まれた被害者なのかもしれません。

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永遠の0について

原作は、百田尚樹さん著作の小説です。映画は2013年に公開し、興行収入は86.7億円という、日本映画の興行収入は12位を記録しました。ドラマSPや漫画などもあり、様々なメディアで、この作品を描いています。今回は、劇場版の『永遠の0』をお届けしていきます。

ざっくりストーリー

太平洋戦争終盤、特攻で命を落とした宮部久蔵の生き様と、信念に生きること、命の重さを描いた作品。

特攻とは

この映画は、特に特攻に焦点を当てた作品です。永遠の0の「0」は、零戦の0です。特攻とは、「特別攻撃隊」の略で、終盤には「神風特別攻撃隊」と呼ばれ、所謂「神風(カミカゼアタック)」とも言われています。

特攻とは、機体もろとも相手に突っ込む自爆行為です。特攻で亡くなった命の数は約4400人と言われています。しかも、攻撃に成功したのは9機に1機程度だったそうです。日本軍は、特攻の志願者を募り、若い命を多数失わせました。特攻志願書は、確実に死ぬというサインなわけです。
本当は、誰も好きで死にたいものはいないはずです。しかし、当時は「お国の為に」「天皇の為に」という言葉を合言葉に、戦争に行かない者や、生き延びようとする者は「非国民」と言われ、罵られました。

当時は、「天皇」という存在が一種の神であり、日本そのものが宗教国家のようでありました。それが、日本を一つにまとめ、侍魂を持った日本国民を最後まで戦わせた要素だったと言えます。終戦し、「天皇」が「人間宣言」をしたことで、「大日本帝國」という宗教国家、全体国家は滅びました。当時のことを知るわけではありませんが、今とはかなり違う時代であったのは間違いありません。

ストーリー展開

戦争というもの、時代背景について述べてきましたが、そんな時代の中生きたのが、宮部久蔵です。もちろん架空の人物ではありますが、モデルになった人はいたそうで、全くの架空の人物とも言えません。

物語は、祖母の大石松乃さんのお葬式から始まる。号泣する夫の祖父がいたが、その祖父とは別に、血の繋がった別の祖父の存在を知ることになる。それが、特攻で亡くなった宮部久蔵だった。そして、孫である姉の慶子、弟の健太郎が宮部久蔵について調べていくという、現代の日本から物語は始まる。

臆病者の宮部久蔵

宮部を知る戦争経験者に話を聞くと、皆口を揃えて「宮部久蔵は海軍一の臆病者だ」と言う。戦火の中でもいつも安全な所を飛び、「死にたくない」といつも言っていたと。生き延びたものの、腕が無くなったり、多くのものや仲間を失った者からしたら、宮部のことは認められず、許せるものではなかった。

調べていく中で、健太郎は祖父の姿が恥ずかしくなってきた。そんな中向かったのはヤクザの親分である景浦だった。正直これ以上幻滅したくない健太郎は、「どうせ臆病者だったんでしょ?」と聞くと、親分は口を閉ざし、二人を締め出した。何も語らないものの、初めて違う反応が見られたのだった。

次に向かったのは、ある病院。病床に伏した井崎の話は、今までとは全く違う宮部久蔵の話だった。

物語は、いよいよ宮部久蔵の謎に迫っていく。

 

宮部久蔵という男

井崎の語る宮部

宮部は飛行機乗りの中でも相当な腕前だった。腕が確かなのは有名だったが、宮部の評価は「臆病者」だった。井崎が初めて宮部に会った時も、誰よりも見事に着艦していた。その腕前に見惚れるが、その言葉は何とも弱気だった。「私は死にたくありません。」という言葉に落胆する井崎だったが、宮部とはその後も同じ小隊を組むことになる。

宮部は、日々トレーニングを欠かさず、隠れてトレーニングしていた所を井崎が目撃する。それは並みのトレーニングではなく、井崎にはとても真似できないようなものだった。腕利きの飛行機乗りで、凄まじいトレーニングに耐えうる肉体を持っているのに、なぜ「死にたくない」と言う臆病者なのか。

小説には、当時のパイロットがどれほど過酷な戦闘をしていたかを表す記述があります。

ある戦闘では、一個中隊でゼロ戦に乗って約10時間かけて戦場に向かいます、その間、常に敵への警戒を怠るわけにいかず気が抜けません。実際に戦場に付くと、数多くの敵戦闘機を相手に物凄い集中力で空中戦をおこないます。この間30分から1時間です。その後、戦闘を終えたら、また10時間かけて帰路につきます。往復の燃料を確保するために、当時のゼロ戦は、極限まで機体を軽くするようにしていたため、動きは素早かったそうですが、その分装甲が薄く、被弾すると途端に脆く墜落するリスクがありました。

まるで、シャア専用ザクのように、スピードと旋回性を得る代償に装甲を犠牲にして軽量化していたというわけです。(ミニ四駆の肉抜きみたいなもの??)

当たらなければどうということはない!」というシャアのセリフがありましたが、それによってシャアザクは通常の3倍のスピードを実現したのですね。それくらい、当時のゼロ戦のエースパイロットは、優秀な操縦技術を持っていたそうです。

このような超過酷な戦闘を、旧日本軍のゼロ戦パイロット達は日常的におこなっていたということですから、その強靭な体力と精神力には驚きを隠し得ません!

愛する家族の存在

宮部は愛する家族の写真を見せる。そこには、妻の松乃とまだ赤子の清子が写っていた。宮部は、自分の命惜しさに「死にたくない」と言ったのではない。愛する家族を守る為に、生きて帰りたかったのだ。

この時代、「愛してる」という言葉は使わなかったが、宮部の家族への思いは、間違いなく「愛してる」ということだったのでしょう、と、老人になった井崎は語った。その言葉に、ただの臆病者だと思っていた姉弟は、そうではなかったことを知るのだった。

宮部は、戦火の中、日本に立ち寄った際、お忍びで家族の元に一度だけ帰ることができた。一夜だけの再会となってしまったが、宮部にとっては、清子に会えた最初で最後の機会だった。父に会ったことがなかったと思っていた清子は、その話を聞けただけで満足だった。

戦場に戻る早朝、旅立つ宮部をつい引き止める松乃。宮部は言う。

「必ず帰ってきます。例え、腕が無くなっても。脚が無くなっても戻ってきます。例え死んでも、それでも僕は戻ってきます。生まれ変わってでも、必ず君と清子の元に戻ってきます。」

「約束ですよ?」

叶うはずのない、涙ながらの約束。これが、今生の別れとなった。

 

宮部が唯一怒った日

戦争が激化していく中、井崎は宮部の小隊にいた。長距離の移動を要する無謀な作戦を言い渡され、宮部は「こんな無謀な作戦が成功するわけがない!」と言い放つ。他の小隊長が、「士気が下がる!気合を入れるぞ!」と鉄拳制裁を下す。おそらく、他の兵隊も、無謀な作戦であることはわかっていたはず。しかし、軍にとって、上官の命令は絶対。意見を言うことさえ許されていないのだった。

作戦を終え、帰還する途中、隊員の小山の機体が不調をきたす。どうせ墜落するならと、戦場に戻り特攻するよう合図を出す。しかし、宮部はそれを許さない。進行を邪魔してまで共に帰還するよう促すも、ついに燃料は切れ、海上に不時着した。必ず救助を出すと伝えて戻る宮部たち。機体から血の付いたタオルを振る小山の顔は、どこか清々しい顔でもあるようだった。

捜索隊の報告によると、機体の周りに小山の姿はなく、鮫が多くいる海域とのことだった。報告を聞いた井崎は、宮部に

「なぜ戻してやらなかったのですか!これでは無駄死にではないですか!私の時は、引き留めずに、死なせてください!」

と訴えると、宮部は、

死ぬことはいつでもできる!お前が死んで悲しむ者がいるだろう!生きる可能性があるなら、生き延びる努力をしろ!」

と、後にも先にも唯一怒るのだった。

その後別の隊に移った井崎は、作戦途中、機体が不調をきたし、海上に不時着をする。井崎は、生き延びる為に何時間も必死で泳いだ。何度も諦めそうになったが、宮部の言葉によって、必死で泳いで生き延びた。そして、家族ができ、今まで生き永らえた。老いた井崎は、末期ガンを患っていた。医者に言われた余命はとうに過ぎていたが、行きに永らえたのは、宮部のことを伝える為だったのだと、二人に伝える。宮部のおかげで、今まで生きてこられたのだと。
あの時代、死ぬことが当然と言われている中、死にたくないと言っていた宮部は臆病者なのではなく、誰よりも強い人だった、という言葉で締めくくった。

武田の語る宮部

大会社の会長を務める武田の元に、健太郎が突撃する。宮部久蔵の名前を聞いた武田は、午前中の予定を全てキャンセルし、知りうる宮部の話を嬉しそうにするのだった。

宮部は武田のいた飛行訓練の教官を務めていた。しかし、宮部が担当するクラスは誰にも合格を出さない。生徒たちは気が逸り、合格を出さない宮部に苛立っていた。そんなある訓練で、機体トラブルで若い生徒が墜落して死んでしまう。軍の上官は弔うどころか、大事な機体を一機失った。軍人の風上にもおけん、と非難する。そこで宮部は、「彼は優秀で立派な人材でした!」と言い返す。上官の怒りを買った宮部は、生徒たちの前でボコボコにされる。しかし、仲間の栄誉を守った宮部を、生徒たちは敬礼で迎える。これが宮部を信頼するきっかけとなるのだった。宮部を批判するものは一人もおらず、その内の一人、大石は、宮部が敵に狙われ追われる所を、機体をぶつけて助けることがあった。大石は大怪我をし運ばれる際、宮部に言う。

「あなたはこの国に必要な人です!」

「何を言っているのですか!あなたこそ生きて、この国の為に立派な仕事をするべきだ!」

大石を見送る宮部を、武田達生徒達は、宮部のその姿を目に焼き付けるのだった。

生きることの大切さを教えてくれた祖父が、なぜ特攻を選んだのか。武田にはわからない。特攻で死んだ者と生き残った者には雲泥の差があるのだ。しかし、見送ったことを忘れることはない。

 

健太郎 合コンに行く

弁護士を目指す健太郎は、四年連続で司法試験に落ちていて暇である。そんな折、弁護士になっている友人達から合コンに誘われており、参加するが居心地は悪い。

特攻について調べている事を話すと、のめり込んでいる健太郎にとって、友人の言う言葉には気に食わない。

「自爆テロは昔だけの話じゃない。洗脳されてたんだろ?」
「海外から見れば、自爆テロも特攻も同じ。どっちも狂信的愛国者だ。」
「国のために命を捨てることを誇りに思うって、一種のヒロイズムだな。」

健太郎は全てを否定するが、祖父をバカにされたようで、理解も納得もできず、何より許せず、途中で帰るのだった。

時代が変わった今、考え方や認識が変わっているのは当然のことかもしれません。
もしかしたら、友人達の言う通りなのかもしれません。よっぽど友人達の言うことの方がごもっともかもしれません。当時を知らないし、時代は変わっているからです。

ただ、正しかろうが、間違っていようが、どう思うかは人それぞれですが、命がけで国のために死んでいった人たちを悪く言ったり否定する権利はありません。命を賭けて死んでいった方やそのご家族に同じことが言えるなら構いませんが。
自分の祖父や宮部を知る者の話を聞いた健太郎にとっては、特攻で死んでいった者を踏みにじるような言動は許せるはずありませんでした。

 

再び景浦の下へ

合コンから帰るその足で、気持ちがすっきりとしない健太郎は、単身親分の家に乗り込む。
「少しはいい面構えになってきたようだな。」
と、景浦は、彼の知る宮部の事を話す。

生き延びたいと言っていた宮部がなぜ特攻を選んだのか?彼は、自らその希望を断ち切ってしまった。

まず語られたのは、宮部に勝負を挑んだ事だった。好戦的な景浦にとって、腕利きのくせに戦おうとせず、いつも傷一つない綺麗な機体で帰ってくる宮部の実力を試す為に挑発するが、宮部は当然乗ってこない。そんな景浦は、実践中に宮部の背後を取る。異変に気付いた宮部は、実力を発揮し景浦の背後を取る。勝負に勝った宮部は元いた景浦の前に移動するが、プライドが傷つき激昂してしまった景浦は、銃の引き金を引いてしまう。我にかえるものの、宮部はそれを見越して飛んでおり、撃たれることはなかった。
景浦にとって耐え難い敗北となり、宮部に借りを返すまでは、何が何でも生き残ると決めたのだった。

後に特攻作戦が始まったが、

「あんなものは作戦なんかじゃない。九死に一生ならまだ死ねるが、十死に零生なものは作戦と呼べるわけがない。」

宮部に借りを返すまでは絶対に死ねない景浦は、特攻隊員を誘導する隊への移動を命ぜられた。
そこで宮部と再会するのだが、そこには知っている宮部の姿はなかった。生気はなく疲れ果て、心が病んだ姿は、見るに堪えなかった。

宮部と共に、特攻の誘導員を務めた景浦は宮部と話をする。あの悲惨な現場が「特攻」だと。今日逝った者達は、宮部の教え子達だった。あんな状況を宮部は毎日見てきた。今や敵機の性能は零戦を超え、対空砲火も日に日に激しくなる。そんな状況で、いったい何ができるのか。この時は、一機も敵母艦には辿り着けなかった。

「皆こんなことで死ぬべき人間でなかった。戦争後、この国の為に生きるべきだった。俺は何もしてやれなかった。」

「あの状況では仕方がなかったと思います。」

「簡単に言うな!直衛機は彼らを守るのが役目だ!なのに俺は逃げた!俺は、彼らの犠牲の上に生きているんだ。」

宮部は、自らが育てた若者達が、特攻により為す術なく死んでいく様を、何度も何度も目の当たりにしていた。
それが宮部が特攻を志願した理由かはわからない。

特攻で死んだものは、若い者がほとんどだった。所謂「学徒動員」で召集された、若い未熟な者ばかりだったが、いよいよ古参の兵にまで特攻志願を募りだした。景浦はこんな無謀な作戦では絶対に死ねないと拒否し続けたが、ある日の志願名簿の中に、宮部の名前を発見する。なぜ優秀な宮部が特攻に行かなければならないのか。上官に講義をするも、覆るはずもない。景浦は、何としても宮部を守る。機体をぶつけてでも守ると決めるが、景浦の機体が不調をきたし、宮部を見送ることしかできなかった。激しく悔やむ景浦は、宮部の名前を叫ぶことしかできなかった・・・

そして、一つ奇妙なことがあった。宮部は乗る機体を交換していたのだ。理由はわからないが、52型ではなく旧型の21型に搭乗したのだ。その交換した52型は、景浦の機体同様、機体トラブルを起こし、特攻を離脱し、搭乗者は生還した。機体を交換しなければ、宮部は生き残ったのかもしれない。特攻はその後、ほとんど行われなかったからだ。

景浦が最後に見た21型に乗り込む宮部の姿は、死を覚悟の目ではなく、ようやく家族の元に帰られるような、そんな目をしていた。

「生き残ったやつを知りたいか?」と、名簿を健太郎に渡す。話し終えた景浦は、なんとも優しい表情で、宮部の孫を抱きしめるのだった。

大雨の中、姉の迎えを待つ健太郎は、傘もささずびしょ濡れで佇んでいた。景浦から渡された名簿に載っていた、52型に乗って生き残ったのは、大石賢一郎。二人のおじいちゃんだったのだ。

 

祖父の秘密

おじいちゃんに話を聞きに行き、真実を知る時がきた。なぜ大石が助かり、大石がおじいちゃんになったのか。

大石は宮部の生徒で、武田が述べた話に出てきた男である。大石にとって、宮部は、仲間の名をを守ってくれた信頼すべき教官で、身を呈して宮部を守ったこともある。入院していた際、お見舞いに来た宮部は、妻が手直しをした外套をお礼に渡すのだった。家族の写真を見せ、この二人の為にも死にたくないと話す。大石君は、戦争が終わったら何がしたいかと聞かれると、

「何でもいいから人の役に立つ仕事がしたいです。」

「そんな日が、来るといいですね。」

そう話すのだった。

復帰した大石は、宮部がいる戦場に赴任する。しかし、そこで見た宮部は、別人のようだった。景浦と同じタイミングで、大石もこの戦場にきたのだ。

奇しくも、宮部と同じ隊で特攻に行くことになった大石。特攻の前日、二人は自然の中で束の間の話をする。大石は、自分が死んだ後のことを考えていると話す。自分が死んだ後、家族と日本はどうなるのか。自分たちがいなくなっても、この国は続いていってほしい。これから生きて行く子供達が戦争のことをどう語り合って行くのか、そんなことばかり考えてしまう、と。

「その時日本は、どんな国になっているのでしょうね・・・」

翌朝、いよいよ特攻に向かう時がきた。すると、大石は宮部から「飛行機を代わってもらえませんか?」とお願いされる。旧型の21型は、最初の頃から乗っていた慣れ親しんだ機体だからと、最後の願いを聞いてほしいと言われる。断れるはずもない。

最後の飛行を感慨深く味わう宮部たち。その途中、突然大石の機体が不調をきたし、オイルまで吹き出してしまう。ちくしょう!と焦っていた時、宮部が横に着き「戻れ」という合図を残し空の彼方に消えていった。それが宮部の最後の姿だった・・・

終戦し、生き残った大石は、宮部のことを伝えるべく、松乃を探したが、見つけ出したのは2年後のことだった。女手一つで、相当苦労しながら生活をしていた。

「必ず、帰ってきます」という宮部の言葉を思い出し、「うそつき」と呟く松乃の元に、宮部の外套を来た大石を見て「あなた・・・」と一瞬見間違えてしまう。

宮部が守りたかった二人が、こんな最低の暮らしをしていたことに、胸が締め付けられる思いだった。大石は、宮部の話をした。機体を交換し、自分が生き残ったことも。松乃は「覚悟してました。それがあの人の運命だったのです。」と言うが、そうではないと返す。機体を交換したのは偶然ではないと。大石が不時着した後、写真とメモを発見した。おそらく、宮部は52型の不調を見抜いていた。その上で、写真とメモを大石に残したのだろうと。遺されたメモには

「もし大石少尉がこの戦争を運良く生き残ったら、お願いがあります。私の家族が路頭に迷い、苦しんでいたなら、助けてほしい。」

「うそ・・・」と呟く松乃に、「許してください!私が死ぬべきでした!」と土下座する大石に、「帰ってください・・・」と言うのが精一杯の松乃は、一人で号泣するしかなかった。

それから、大石は、時間があれば松乃の元に通った。その度に贈り物やお金を渡そうとするが、頑として受け取らない松乃。それでも義務だと思い、何度も何度も通い、娘の清子は心を開いてくれていた。松乃も喜ぶ清子の姿を見て、少しずつ大石を受け入れ始めた。

そんなある日、大石に

「あなたはもう十分、責務を全うしました。もうこれ以上甘えるわけには・・・」

「違うんです。最初は義務でした。しかし今はここに来ることが喜びになっています。いえ、正直に言います。初めて会った時から、私はあなたを!・・・私は汚い人間です。」

立ち去ろうとする大石に、「行かないでください。」と止める松乃。そこで気付く。

「あの人は、約束を守ったんです。あの人は言っていました。たとえ死んでも、それでも僕は戻って来る。生まれ変わってでも必ず君と清子の元に戻って来る。あなたが今、ここにいます。宮部は、約束を守ったのです。」

大石の姿の中に、宮部の思いを感じるのだった。

宮部のメモを持っていた祖父は、家族にそのメモを見せる。姉の慶子は「どうしても生き残りたかったんでしょ?どうして・・・。」とこぼす。祖父はこう述べる。

「私にははっきりとわかる。言葉にできない。言葉にできるようなものではない。ただ、一つ思うのは、あの人は死ぬのを恐れていたのではない。二人の人生が壊れてしまうのを恐れていた。生き残った者がしなければならないことは、その死を無駄にしないこと。語り続けること。やがて結婚したが、二人の間で宮部の話が出たことはない。しかし、二人共忘れたことも一度もない。」

「あの時代、一人一人に、そんな物語があった。決して特別なことではないのだ。
この話を、お前たちに話すことができて良かった。」

宮部の遺志

松乃は、戦後すぐ、人に騙されヤクザの囲いになるところだった。そんな中、ある人が、体を張って助けてくれたことがあった。血まみれの刀を持ち、乗り込んできた男は、財布を松乃に投げつけ、「生きろ!」と言った。その姿は、松乃にとって宮部が助けに来てくれたように見えた。松乃にとっては誰ともわからないが、それは他ならぬ景浦だった。松乃も大石も知る由はないが、生き残った景浦も、宮部の思いを受け取っていた。きっと、大石のように松乃のことを探していたのでしょう。宮部の遺志は、大石だけではなく、景浦も受け取っていた。景浦の口から、そのことが語られることはなかったが、確かに宮部の遺志は受け継がれ、松乃を守ったのです。

 

宮部の最期 〜怒涛のラスト3分〜

特攻に行く日。52型に乗り込む宮部は、エンジン音を聞き、異変に気付く。天を仰ぎ、一瞬安堵するような表情を見せるが、ふと横を見ると大石の姿があった。そして宮部は機体を交換し、大石に託して21型で飛び立つ。

「奴は、海軍一の臆病者だった。」
「宮部はなぜ特攻を選んだのか。」
「あの人こそ、生き残るべき人だった。」
「それは、戦争で生き残ったということ。」
「私らの世代にとってそれは、愛していると同じ意味の言葉です。」
「あの人は、約束を守ったんです。」

様々な人たちの、宮部への色んな思いが語られる・・・

このように、戦争に対しても、一人の兵士に対しても、それを見る(観る)立場によって、多種多様なものの見方ができます。

結局、何が「真実」か?なんていうのは、その「本人」にしかわからないものなのかもしれません。どうせ本人にしかわからないものであるならば、自分に本当に正直に、自分の心に従って生きた方が、ぜったい良いと思うんです。これは、どんな時代に生きようとも、そうだと思います。

 

宮部は21型を巧みに操り、海面すれすれを飛び敵艦の集中砲火を躱す。激化する戦況の中、敵艦まで辿り着くことが困難になってくる中、宮部は弾幕を掻い潜り、敵艦に特攻する。その最期の表情は、並々ならぬ覚悟を秘めた、穏やかな微笑みだった。

 

宮部の秘密が紐解かれ、それで何が変わるものではありません。しかし、宮部に助けれられ、生き残った者が宮部のことを語り継ぐことができたことが、使命を一つ全うしたことなのかもしれません。人によっては、臆病者としか見えなかった人も、誰よりも強いと見えた人もいます。軍にとっては国よりも人を優先する許すまじ存在でも、生徒にとっては、この人こそ生き残るべきだと思われる人だった。きっと、そういう人が、宮部の他にもたくさんいたのだと思います。健太郎の友人のように冷めた目で見る人もいるでしょう。そういう人たちが思いを改める為に語り継ぐことはありません。ただ、そういう姿を知れば、自ずと受け止めるものはあるでしょう。

戦争によって、奪われる命があり、その奪われる命には何物にも代えられないものがあります。それを忘れてはいけないんだなと、感じます。

もちろん、戦争だけでなく、事件や事故によって失われる命もあります。『コード・ブルー』などは、まさにそういう部分を描いた作品と言えますね。

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コード・ブルー 劇場版公開記念!第2弾 〜感動と面白さの秘訣に迫る〜 第1弾のおさらい 「前回までのコード・ブルー」という冒頭のセリフに...

 

宮部が特攻を選んだ理由

宮部の生き様を述べてきましたが、明確に宮部が特攻を選んだ理由ははっきりとはわかりません。自らが教えた若い命が、特攻により失われ、それを見続け、その犠牲の上に生きていることが、もう限界だったのは間違いありません。宮部はあくまで一兵卒で、戦略や戦術を支持できる立場ではありません。軍は上下関係が全てです。命令違反は厳罰です。つまり、宮部は従うしかないのです。特攻は無謀なことだとわかっていながら・・・

宮部久蔵は、己よりも国を優先しなければならないあの時代において、己を優先できた「ジョーカー」タイプではあります。しかし、あまりにも人が良すぎた。愛が強すぎた故に、背負う重さに耐えかねたのでしょう。ある意味、ヤクザになった景浦のように自分を優先できれば良かったですが、この二人は違います。景浦は己の命を優先しましたが、宮部は己の「信念」を優先させたのです。結果的に、大石と景浦が宮部の遺志を継ぎ、それぞれが松乃を助けることになり、そういう意味では、宮部は「ジョーカー」としての役割を果たしたように思いますが、生きていて欲しかったですよね。

そんな宮部がなぜ特攻を選んだのか。

一つは、精神の限界だったこと。そしてもう一つは「大石」の存在です。大石は、宮部が仲間の名誉を守ってくれかことで、身を呈して宮部を守りました。宮部にとっては、大石には助けられたという大きな借りがあります。精神が限界の中、復帰した大石と再会した時に、特攻を決意したのではないかと思っています。死にたくなかった宮部は、何人もの教え子を見送ることで、自分は生きていてはいけない、と思ったのではないかと思います。でも死にたくない葛藤がある中で、大きな借りのある大石に恩を返すことができると思ったのではないか。

大石が入院中、お見舞いに行った際に家族の写真を見せた時、「綺麗な方ですね」と話していた。大石の人柄と、大きな恩に、家族を託すに足ると考えたのかもしれません。大石と未来の話をしたのも、自分の命を大石に預けるきっかけになったように感じます。
もちろん、大石が生き延びて、松乃を支えるかどうかはわかったのものではありません。それでも、その可能性は高いと思ったのでしょう。エンジントラブルに気付いた時、自分が助かろうとしなかったのは、借りに自分が生き残って、家族の元に帰っても、妻子二人を幸せにできないと思ったからではないかと思うのです。

宮部が死にたくなかったのは、家族の為であり、家族の幸せの為です。多くの教え子を失い、その犠牲の上に自分だけ生き永らえることは、どうしても宮部にはできなかったのでしょう。そんな状態で帰れたとしても、自分は二人を幸せにはできない、と思ったのが、特攻を選んだ理由なのではないかと感じています。

相関図

 

永遠の0に見る戦争の裏側

国ぐるみの情報統制

戦争においては、「情報」がとても重要になります。相手がどう攻めてくるのか、戦力はどれほどか、わかっていれば対策ができます。いつの時代もそうですが、特に今の時代は、「情報戦」と言えるほど、情報の価値が高まっています。先に情報を得ることや、偽の情報によって相手を撹乱することもあります。それは、敵味方の内外に関わらず、起こり得ることです。

先の戦争においては、旧日本軍だけではないと思いますが、日本軍が行ったのは、日本の国民に偏った情報しか流さなかった。もっと言えば、あたかも日本が有利なように情報を統制したことです。戦況は不利でも、有利であるかのように通達し、負けた戦いでも、勝ったと報じることもありました。ミッドウェー海戦で、日本が負けたのに勝ったと報じたのは有名な話ですが、この辺りから戦局が大きく傾き、後に原爆を落とされるまでになってしまいました。

情報統制したのは、士気を下げない為です。不利な状況や敗戦が続けば、勝てるものも勝てません。まぁ、もちろん始めから勝てるものではなかったのですが・・・。しかし、戦争に負ければ、悲惨な末路が待ち受けています。ただ単純に、情報統制が悪いことだとは言い切れません。もちろん、現場の最前線では、おかしいことはわかっていたはずです。それでも、勝つ為に情報統制を行っていたのは事実だと思います。

問題は、情報統制をしなければならないほど追い詰められた状況だったということです。アジアの某国では、情報統制が頻繁に行われています。主に政治や外交についてが多いですが、情報統制しないと、国が成り立たないのです。戦時中ではなく今現在も行われているということは、恐ろしいものです。日本にだって、少なからず情報統制はあります。それが、健太郎の友人が合コンで「洗脳されてた」と言っていたことなのかもしれません。

「教育」というもので言えば、良い悪い関係なく、ある種の情報統制であり洗脳と言えなくもありません。事実、某国では、日本を悪のように教育で教えているが故に、日本への憎しみは消えることはありません。日本だって、教育で学んだことが素養になります。そういう意味では、教育は国によるものなので、国ぐるみの情報統制(洗脳)と言えるかもしれません。

そう考えると、我々も意図的な偽の情報に振り回されず、しっかりと自分の頭で考えて、己の信念を元に判断していくことが重要であり、それは宮部久蔵のような生き方なのかもしれませんね。

太平洋戦争は負けるべくして負けた

今だから言えることですが、日本は太平洋戦争に負けるべくして負けました。
なぜなら、当時の連合国の裏工作で、日本が戦争に参入するよう仕組まれていたからです。敵国は用意周到に勝つ準備をした上で、日本が戦争をするしかない状況に仕立て上げられ、まんまと嵌められたのです。ただ、予想以上の抵抗があったとは思ったでしょう。

言うなれば、HUNTER×HUNTERのキメラアント編で、ネテロが蟻の王を倒す為に、核を用意していたような感じとも言えます。「はじめから詰んでいた」のです。

おそらく、宮部は日本が勝てないことをわかっていたと思います。戦力の違い、戦略の違いを、肌で感じていたはずです。そもそも、特攻をやる時点で、認識の違いはわかっていたはずです。しかし、やらなければ負ける。負けたら植民地にされ、国の誇りを捨てさせられ、家族が奴隷のように扱われるかもしれません。

ある意味では、情報統制も悪いのではないのかもしれません。命を顧みず特攻に行く者。命の灯が消えるまで戦い続けた者。そういう意味では、結果的に知らなかったからこそ、あそこまで戦えたのかもしれません。天皇を中心にした宗教国家のサムライ達が戦ったからこそ、日本は表向きは植民地にならず、なんとか最低限の保障を受けられました。

その後日本は、武器を「経済」に変え、戦後は怒涛の高度経済成長によって、戦勝国と肩を並べられるようになりました。これは「アジアの奇跡」と言われています。今の私たちの繁栄があるのは、どう考えても、国や家族のために戦ってくれた先人たちのお陰です。そして、熾烈な戦争を生き抜き、何もなくなった焼け野原から、不撓不屈の精神で這い上がってくれた人達のお陰です。

これは決して、綺麗ごとやお決まりのフレーズで言っているわけではなく、本当に心からそう思うのです。

そんな護国の英霊の方々に対し、感謝以外の何ものもありません。たとえ様々な立場の人が我々の先祖を悪魔呼ばわりして罵ったとしても、私の中では、彼らへの敬意は微塵も揺らぐことはありません。戦争という名の、光の部分も闇の部分も引っくるめて、英霊の方々、そのご家族に感謝の意を表します。

 

永遠の0 まとめ

永遠の0は、これまでの戦争映画とは違い、宮部久蔵という人物に焦点を当て、ただの反戦映画ではなく、ヒューマン映画でもありません。当時の日本は、天皇信仰があり、全体主義国家があり、軍という厳しい規律がある中で、周りの空気に流されることなく、己の信念に従って生きた宮部久蔵の生き様にこそ、今の時代の人々が共感し、大ヒットになった要因があるのだと思います。

戦後70年を過ぎた今だからこそ、冷静に理解できることがあります。そして、宮部久蔵の生き方は、いつの時代にも必要な考え方、生き方だろうと思います。

 

最後に

永遠の0は、戦争を通じて、今の時代に必要な生き方を学べる素晴らしい映画です。
なぜ今頃取り上げたのかというと、8月は終戦の時期でもあるし、最近また観たからです(笑)
アニメが主軸のサイトなので、何かしらの理由をつけて、アニメ以外はコラムにしないといけないんです(笑)

そして、実は私は「被爆3世」でもあります。訳あって、知ったのは20歳の頃でしたが、私の祖母は長崎での原爆を体験し、生き延びました。当時小学生で、クラスでも生き残ったのは数人だったそうです。その話を聞いた時、自分が生まれ、生きているのは本当に奇跡なんだと実感しました。自分が生きている裏には、そういった祖母の存在があったり、宮部のように命をかけて散っていった方々がいたからなんだと、改めて感じたのです。

「永遠のゼロ」を観て、しみじみとそのようなことを考えた今年のお盆でした・・・

 

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