この世界の片隅に 「生きる」ということを女性目線で描くアニメーション戦争映画

この世界の片隅に 「生きる」ということを女性目線で描くアニメーション戦争作品

 

原作は『漫画アクション』に掲載され、クラウドファウンディングによって制作された、アニメーション戦争映画。中々クラウドファウンディングで映画を作るのは難しいと言われている中で実現し、ロングランして大ヒットした作品です。

アニメの戦争映画と言えば、有名なのは「火垂るの墓」「はだしのゲン」などがあり、特にこの2作は、戦争の悲惨さと、原爆の被害を描いています。特に、戦争の被害に遭った子供達がメインで描かれているのが特徴です。アニメ作品ということで、実写では描けないようなグロいシーンなども描かれ、アニメならではの戦争の悲惨さをより描いています。

そういった中にあって、「この世界の片隅に」は、戦争の悲惨さは描きつつも、戦火の中で「生きる」ということを、女性の視点から描いています。

現在、TBSの日曜9時から、実写版のドラマも放送していますが、この枠は、「半沢直樹」や、「下町ロケット」「陸王」など、高視聴率になる話題のドラマが放送される枠です。その枠で実写版が放送される程話題になり、興味深く面白い作品です。

 

以前、日テレ系でドラマスペシャルで放送されたこともありますが、こちらは大人の事情で、もう放送されることはなさそうです。気になる方は検索してみて下さい(笑)

「永遠の0」のコラムも出しましたが、よくある戦争映画とは違う、今の時代に生きる我々にも必要な視点が描かれている、とても深い作品だと思います。

 

この世界の片隅に をざっくり言うと

戦争に赴く男が命を散らす話ではなく、男手のいなくなった家を守り、貧しい中で生活を切り詰め、慎ましくも力強く生きる女性たちの日常の姿を描く。

 

ストーリー

幼少時代

1933年から物語は始まる。広島に住む浦野すずは、普段から天然で、ぼぉーっとしている、唯一絵が得意な女の子。実家の仕事である海苔の養殖を手伝いながら暮らしていた。

ある日、手伝いでおつかいに行った際に道に迷い、そこで毛むくじゃらの化物に出会い誘拐される。カゴの中に捕らえられると、そこには一人の男の子がいた。機転を利かせ夜空の絵を描き、それを見せると、化物は寝てしまい、なんとか逃げることができた。
すずはこの出来事を、自分がぼーっとしているから、昼間見た夢だと思い込む。

1938年のある日、学校の授業で生徒たちは絵を描いていた。絵を描くのが得意だったすずは早々に描き終え、家に帰ると手伝いに出掛ける。途中クラスメイトの水原が、課題の絵が描けずに一人で海を眺めている。親は家で呑んだくれており、帰るに帰れない。海も嫌いだから描かないと言う。水原は、すずに新品同様の鉛筆を渡し、すずは水原の代わりに海の絵を描く。

すずは、水原の話を聞きながら、海の波飛沫が白いウサギのように跳ねる美しい風景を描写した絵を描く。水原は「この絵を見たら、海を嫌いになれん」と言い、その場を去るのだった。

 

すずの嫁入り

1943年4月、すずの兄は戦場に行くこととなった。そして12月、家の手伝いをする18才になったすずに、縁談の話がやってくる。相手は軍港のある呉の人だった。

その日、水兵になった水原に会う。すずは一瞬、結婚相手が水原と間違えるが、兄の七回忌に帰った所だった。18歳になっても、幼さの残るすずは、これからお世話になる親子に道を尋ねられても、「珍奇な女の子」だと思われるほどだった。

翌年には、汽車に乗り呉へと向かった。祝言が挙げられ、すずは北条家に嫁ぐこととなった。どこか抜けていて、物覚えも人覚えも悪いすずは、双方共に心配される。

初夜、おばあちゃんの指南により、周作から「傘は持って来とるか?」と聞かれる。「はい、新しいのを一本持って来とります。」と言われた通りに返すと、「ちょい貸してくれ。」と、干し柿を取り食べる。

「うちら、どこかで先に会いましたか?」
と聞くと、「会うたで。あんたは覚えとらんかぁ。」「昔からこがいな所にホクロがあったなぁ。」と、周作はすずをよく知っているようだった。

 

北条家での生活

翌朝から、北条家の嫁として、家事や配給の買い出しなど、体の悪い義母に代わり、教えられながら1人励むすず。
そんな折、義姉の径子が、娘の晴美を連れて帰ってくる。来て早々すずの服装にケチを付けてくるが、晴美曰く、機嫌が悪いとのこと。

義母のサンが言うには、径子は昔から器量が良く、何でも1人でできる子だった。仕事も結婚相手も自分で見つけた。当時はそれが大ごとだと思っていたが、戦時中の今では、そんな事が大ごとだと思っていたのが懐かしいという言葉が、戦争の悲惨さを物語る。

お使いに行こうとするすずに、径子は自ら代わりを申し出るが、帰って来てすずの仕事っぷりの鈍さに、自分がやると言い出した。径子はとても優秀なのだ。すずは、来て早々言われた服装を改める時間が出来、径子に感謝するのだが、ツンケンしていて伝わりにくい径子の優しさを、すずはしっかり受け止めるだった。

そんなある日、径子が「家に帰ってええ」と言う。それは、里帰りしておいでという意味だった。北条家の母親は体が悪く、それもあり、早くにすずを嫁にもらった。家を出たことに負い目があった径子ならではの言い方だったのだ。

束の間の団欒を実家で過ごしたすずは、頭に十円禿げができていた。呑気なすずでも、慣れない生活に気を使いストレスが溜まっていたのだ。その後、呉に帰ってからも、禿げを気にしていたすずは、元気がなかった。そんなすずを慰める周作と、軍港に来た「戦艦大和」を眺めていた。

男なら、「カッコいい!」とか、船の性能とかに目が行くものだが、すずが気になるのは、乗組員2700人を支える食事や洗濯のことだった。男と女の見る所は全く違うものですね。

 

変化していく日常

1944年に入り、配給は徐々に減り、満足のいく食事はできなかった。そんな日々を、楽しみながら創意工夫によって、カサ増し食を作るすず。食べられる草ならなんでも作っていたが、味の方は、如何ともし難かった。

この頃から空襲警報がなるようになった。建物疎開と言って、建物を取り壊すようになり、防空壕を作るようにもなっていた。

そんな折、義姉の径子が離縁して出戻って来た。同じように、建物を取り壊すのをきっかけに帰ってきたのだ。

径子は、自身で結婚相手を見つけ、時計屋を営む家に嫁いだが、夫は早くに亡くなってしまった。径子の性格上、両親とは折り合わず、晴美には久夫という兄がいたが、久夫は跡取りとして下関に連れていかれたことで離縁し、晴美は径子と共に北条家に出戻って来たのだった。

空襲はすっかり収まり、戦争はどこはへ行ったのかと思うほどのどかな日、晴美は蟻ん子を眺めていた。すずと2人で蟻ん子がどこへ向かったか見ると、家の砂糖壺が目的地だった。貴重品の砂糖を守ろうと、水瓶の上に浮かそうとしたが、大失敗して貴重な砂糖をぶちまけてしまう。

見るからに落ち込む2人。その姿があまりにも可愛い。

 

水原との再会。複雑な夫婦の心情

ある冬の日、幼馴染の水原が入湯上陸ですずの元にやって来る。もてなさない訳にはいかない北条家は、水原をもてなすのだが、普段では見せることのないすずの姿がそこにあった。夫の周作でさえすずさんと呼んでいるのに、「すず」と呼び捨てにする水原。そんな水原に遠慮なく突っ込むすず。周作にとっては、言葉にならない光景だった。父が不在の為、周作が家長として、この家に水原を泊めるわけにはいかないと言う。代わりに、納屋に寝て貰うのだが、寒さ故に、すずに湯たんぽを渡し「最期かもしれないから、ゆっくり話してこい」と送り出し、鍵を閉めてしまう。妻のすずを、水原と二人っきりにするのだった。

二人きりになった水原とすずは、昔話に花を咲かせる。徐々に距離が近くなると、水原はすずを抱き寄せキスをしようとする。すずは、「水原さん、私はこういう日を待っていた気がする。」と言う。自分の気持ちをストレートに伝えられないすず。昔から、水原のことを想っていたはずなのに、ずっとその気持を伝えられなかった。水原と二人になれて嬉しい気持ちの反面、夫への怒りも込み上げてきた。それは、周作の事が好きだったからだ。

そんなすずに、「たまげるくらい普通じゃのぅ」と返す。当たり前の事だと。すずが今の生活が嫌ではないことを知り、水原は安心する。

「お金が無いから無料で入れる海軍学校に入った。当たり前のことなのに、どこで人間の当たり前に外されたのか。だから、普通でいるすずを見て安心した。わしを思い出すなら、笑って思い出してくれ。お前だけは、この世界で普通で、まともであってくれ。」と言い残す。

戦争の中、普通でいること、まともでいるということだけでも、実は凄いことに何ですよね。

水原は、すずと関係を持つことをせず、二人の時間を過ごし、早朝、水原を見送るのだった。周作の言ったとおり、二人が会う事はもうなかった。

 

初めての夫婦喧嘩

後日、すずの兄が戦死した。遺品を受け取る為、周作と二人ですずの実家に出掛ける。人は、呆気なく死に、いなくなる現実だった。その帰りの汽車の中、水原と二人にしてくれたことにお礼を言うが、それと同時に、「夫婦ってそんなもんですか?」と、珍しく強く言うすず。周作はすずが怒る顔も見た事がないと伝えると、「今見せとるでしょうが!」と、周りの目も憚らず夫婦喧嘩へと発展する。周作が気を利かせたことに感謝をしつつも、その行動には半分憤りを感じていた。周作も水原とすずの仲の良いやりとりに内心嫉妬していた。しかし、それは、当たり前のこと。奇しくも水原の言う通りのすずだった。

 

空襲の再激化と周作の徴兵

1945年3月、空襲が突如激化する。山の向こうから無数の戦闘機が現れる。危機感が薄れていたすずと晴美は逃げ遅れるが、義父に助けられる。それから連日空襲警報が続き、何度も防空壕に避難する日々。昼夜問わずの空襲警報に、晴美は「警報もう飽きたぁ」とこぼす始末。この緊張感の緩みも、後々怖いものだと感じてしまいます。

軍の中でも文官として戦場に出ることのなかった秀作も、ついに徴兵される。小さく細いすずを心配するが、すずは周作の帰りを待つよう北条家に残るようにした。周作を忘れないように、周作の絵を描き、見せろと言われるが、「重要機密じゃ」と隠すすず。この頃までは、戦争の中にあっても、兵のモノマネをするような余裕があった。

 

義父の入院と時限爆弾

6月、被弾した義父のお見舞いに行くと共に、下関に用に出る径子は切符を買いに行く。切符を買う間に義父のお見舞いに行くすずと晴美。その帰り、空襲警報が鳴り響く。その近くにあった防空壕に逃げてこと無きを得るが、その帰り、爆撃の被害に遭った道を歩く横で、不発弾があった。そこですずは時限爆弾のことを思い出し、急いで晴美の手を引いて逃げようとした瞬間、爆弾は炸裂し、再び気が付いた時には、そこにいるはずの晴美はいなくなり、自分は右腕を失っていた。

一命を取り留め、目が覚めたすずの前には、径子が泣いていた。大切な娘を失った径子はすずに「あんたが付いておりながら。人殺し!人殺しぃ!」と罵る。謝るしかないすずだったが、助かったのが自分ではなく晴美さんだったら良かったと、思ってしまう。

空襲により崩れた家がある中で、北条家は無事だった。その事に「良かった」と言うすずだったが、本心は違う。

「一体何が良かったのか?」と、すずは認知的不協和に苛まれていく。

 

鬼気迫る女優魂の素晴らしさ!

空襲により、火炎弾が北条家に落とされる。皆が避難する中、無気力だったすずは、燃え上がる炎を見たとたん、鬼のような形相で、一人身体全体を使って火を消そうと躍起になる。

このシーンのすずの姿は本当にすごかった! というか、すずの声を担当した女優ののん(能年玲奈)さんの演技が本当に凄まじかったです。声優好きの僕らでも、おそらくこのシーンは並みの声優さんではここまでの表現が出来なかったかもしれないと思ってしまうくらい鬼気迫るものでした。これは声だけではなく全身を使って表現する女優さんだからこそ出せるものという感じです。あらためてプロの女優魂を垣間見た瞬間でもありました。

火が付いた家は、すずの行動と家族の手伝いもあり、なんとか事なきを得るが、晴美を失ってから、すずは変わっていった。

空襲に遭う呉に対し、ラヂオでは「呉の皆さん、頑張って下さい!呉の皆さん、頑張って下さい!」と虚しく流れる。

一体何を頑張れと言うのだろうか。言わないよりも言うほうがマシかもしれないが、戦争というものは、それ自体が異常なもので、普通を普通でなくしてしまう。

 

良かった。良かった。何が良いのか?

すずが心配で戻ってきた周作と会ったすずは、安心して気を失う。その脳裏に思い浮かぶのは、「良かった」と言う言葉。

「熱が下がって良かった。」「不発で良かった。」「治りが早くて良かった。」

「どこがどう良かったのか、うちにはようわからん。」

失った右手を見ながら、自分の右手がしてきたことを思い出す。晴美の手を引いた右手。古くは、兎の波を描いた右手。こんなに多くのものを失っているのに、何が良かったのか。そんな時、妹のすみがお見舞いにくる。もう怖い兄もいないから、うちに帰ってこいと言う。すずは内心、兄が死んだことを安心していた。そんな自分の心が歪んでいると感じている。左手で描いた絵の様に、と。もう、好きだった絵を右手で描くことはない。

8月6日

その後も、空襲は激しくなる一方だった。右手がないすずは、不自由になり、家族の助けが必要な存在になってしまった。そんなすずの前に、一羽の白サギが来る。空襲警報が鳴る中、逃がそうと走るすずに、米軍戦闘機の機銃掃射が襲う。間一髪周作が助けに来るが、すずは、「広島に帰ります」と伝える。晴美を死なせてしまったこと。不自由な体になり、お荷物になってしまったこと。様々な理由があるが、広島に帰ることを決意する。

8月6日、広島に帰る朝、帰り支度を手伝う径子と、久々に会話をする。相変わらず口が悪くチクチク言うが、服を繕ったり、やっていることは優しいものだった。そこで、径子は、めずらしく優しい口調で語る。

「悪かった。晴美が死んだんをあんたのせいにして。私は好いた人に早よ死なれた。店も疎開で壊された。子供とも会えんくなった。ほいでも、自分で選んだ道の果てじゃけ。その点あんたは、周りの言いなりに知らん家にきて、言いなりに働かされて、さぞやつまらん人生だと思うわ。あんたの居場所はここでもええし、どこでもええ。くだらん気兼ねなしに、自分で決め?」

その時、突然背後の空が異常な光に包まれる・・・

径子の思いを聞いたすずは、「やっぱり、ここにおらしてもらえますか?」と身を寄せる。すると今度は、ガタガタと地響きのような衝撃が起こる。

外には、晴美と見た、かなとこ雲の様な、不思議なキノコ雲が見えた。広島に原爆が投下されたのだ。

実家が心配になすずは、手伝いで広島に行きたいと言うが、けが人は連れてはいけない。結った髪をバッサリと切り落とし、連れて行って欲しいと頼むが、それでも叶わなかった。

 

周作との再会

家に戻ってきた周作に、改めてここにおらして下さいとお願いする。剣術の練習をしながら文句を言う周作に、米軍が撒いたチラシを丸めて、「すみません!」と言いながら投げつけるすず。米軍のチラシは、拾ったら届けるのが軍法上の決まりなのだが、すずは、

「届けても燃やすだけです。上質な紙ですえ、こうして揉んで、落とし紙にする方が無駄がのうてええ。何でもつこうて暮らし続けるのが、うちらの戦いですけぇ。」

これが、戦争の中を生きる女性の強さでしょう。そんなやりとりをする二人は、すっかり夫婦になったと感じるものだった。

 

終戦宣言、すずの叫び

広島と長崎に原爆が落とされ、すず達は終戦宣言のラジオを聞いた。径子は、「はぁ。終わった終わった」とあっさりしたものだったが、一番おっとりとしたすずが叫ぶ。

「そんな、覚悟の上じゃないんかね!最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!今まだここに5人おるのに。まだ左手も、両脚も残っとるのに!」

戦争が終わっても、右手と晴美を失った苦しみは晴れるものではない。径子も、一人物影で「晴美ぃ・・・晴美ぃ・・・」と泣き崩れていた。

戦争は、無慈悲に様々なものを奪っていく。暴力に屈することしかできない悔しさに、すずは号泣するのだった。ぼーっとしたうちのままに死にたかったなぁ、と。

戦争は終わっても、生活は続いて行く。

その後、北条家では義母が隠していた米を家族で食べる。夜襲に備えて、照明に黒布を掛けていたが、その必要はもうない。家々に灯がともり、街は光を取り戻したのだった。

 

終戦後

何もかもが不足している中、子供達は米軍兵に「ギブミーチョコレート」と言いながらお菓子をもらっている。すずと径子は、何かの配給の列に並ぶ。もらえたのは、占領軍の残飯雑炊。見た目は悪く、ジャンクフードまで入っているものだったが、すずと径子は「う・う・う・うまぁ〜」と言って食べるのだった。家で食べるご飯は味がないのに。そんなものでさえ、日本のものよりも美味しいのだ。

港を歩くすず。海には、戦争でボロボロになった戦艦青葉が沈みかけていた。それを見たすずは、心の中で晴美に報告する。そして、水原が死んだことも確信するのだった。

 

すずの帰省

翌年、すずは実家に帰る。実家は無事だったのだったが、両親の姿はなかった。それを知らなかったすず。妹のすみは生きていたが、原爆の放射能に侵されて寝込んでいた。

広島の町並みは、ボロボロで、誰かを亡くした誰かが、誰かを探していた。そこに、周作がやって来る。周作は、すずと初めて出会った橋ですずに出会った話をした。すずは周作に、

「周作さん、ありがとう・・・

この世界の片隅に、うちを見つけてくれて。

ほんでも離れんで、ずっと側におってください。」

そう言う二人の後ろを、子供の頃に捕まった化物が通り過ぎて行った。

 

戦災孤児の少女

この映画のラストで、とても衝撃的で印象的なシーンがあります。セリフも説明もないのですが、いくつかのシーンでその過程が想像できるようになっています。おそらくは出兵で旦那さんは戦死してしまい母と子二人で広島で生活していた親子の姿です。

町に出かけている時に原爆の被害に遭い、母親は爆風で片腕を失い、全身焼けただれて体中にガラスの破片が無数に突き刺さっているにもかかわらず、娘の手を引きながら歩いています。とうとう力尽きて座り込んだまま、最後の力を振り絞って子守歌を歌うのです。娘は母親の片方の腕にもたれかかったまま何日か過ぎると、すでに母親は死に、次第に蠅や蛆がたかっていきます。すでに母の体がもう生きてはいない事を知った娘は、あてどなく一人で歩き出します。そこに、転がるおにぎりを見つけ、見上げると、母と同じ、右手のないすずを見つける。その子はおにぎりをすずに返そうとするが、すずが「ええよ、たべんさい!」と言うと、女の子は無我夢中でおにぎりを頬張り、食べ終わりふと見ると、母親のように片腕をなくしたすずの姿を見て、思わずその右腕にぎゅーっとすがるのです。

もう、本当に辛い場面なのですが、このシーンは様々な感情が重なって、只々号泣です。このアニメの素晴らしいところは、本当にシンプルに余計な説明をしなくても、背景に描かれている描写だけでその世界観に臨場感をもってしまうことです。

そして、すずと周作は、この女の子を一緒に呉に連れて帰るのです。

呉はすずが選んだ場所。

実家も心配だが、すずは自分の場所に帰るのだった。

新たな家族を連れて・・・

 

突然、小さな子供を連れてきた二人を見て、家族は「はぁ~??」と、何とも言えない顔をしているのですが、すぐに径子は、娘の晴美の着ていた服を取り出し、「これ、ぴったりかもしれんのぉ」と、嬉しそうに呟く・・・

 

エンディング

エンドロールでは、その後の生活がイラストで描かれます。新たな家族の娘が晴美の服を着て成長していく。すずから裁縫を習い、径子に手作りの服をプレゼントしたりします。言葉では言い表せない姿が、断片的に描かれます。戦争というものによって、多くの大切なものを失いながらも、新たに増えるものもあり生きていく。それは、戦争があったから、という特別なものではなく、日常だって同じです。戦争は特別なものではありますが、ありえないものでもありません。今の日本は戦争は起きていませんが、もし巻き込まれたとしても、生きていかなければなりません。

戦争は起きなくても、地震や噴火、異常気象などの災害もあります。特に今年は想定外の災害が相次いで起こり、各地で大きな被害がありました。戦争でなくても、似たような状況は起こりえます。いや、戦争だって、起こらない保証はありません。戦争にしても災害にしても、命がある限り人は生きていきます。大切な何かを失うこともあるかもしれませんが、辛くても、生きて行くことの大切さを、この作品は教えてくれているように思います。

 

この世界の片隅に が描くもの

径子の厳しさは、本当の優しさ

径子は、厳しい性格をしていますが、本当の優しさは、厳しさの中にあるのではないでしょうか。すずに厳しくしていたのも、家を守る為にしっかりしてほしい思いからのものですし、なんだかんだ言っても、家事も買い出しもちゃんとやることはやります。そして何より、広島に原爆が落とされたとき、すずに見せた優しさは、北条家に残る事を決意し、周作でも説得できなかったすずの心を変えるほどでした。

何が大事なのかがわかるから、厳しくも優しくもできるんだろうなと思います。「誰にでも優しい」というのは、時に誰かを傷つけたりもします。必要な時に出せる優しさこそ、本当の優しさなのかもしれませんね。

 

のんちゃんの演技力の素晴らしさ

この作品の素晴らしさの一つに、北条すずを演じた「のん(元能年玲奈)」の演技が素晴らし過ぎました。おっとりしたすずを見事に演じきり、とぼけた所も、語気を強める所も、すずというキャラクターになりきって、役者ながらに、声優にも負けていませんでした。事務所問題が色々あり、改名を余儀なくされ、本名を名乗れないような苦境に立たされていますが、彼女の新たな才能を開花させた作品になったと思います。

我々は、のんちゃんを応援します!!

 

戦争下の日常を描く「リアル」

この作品は、戦争映画でも日常を描いている為、中々資金が集まらず、制作が危ぶまれていました。理由は「地味だから」だそうです。そこで、クラウドファウンディングによって資金を集めましたが、当初目標にしていた2000万円を大きく超える、3900万円という金額が集まりました。

作画やアニメーションのクオリティは、お世辞にもそんなに高いものではありません。しかしながら、それがかえって良い方向に転じた不思議な作品だと思います。まるで主人公のすずの性格を反映したような天然でシンプルな作画が、戦争を描いた内容のシビアさを上手く緩和しながら、シンプルだからこそ、かえってその心情がリアルに伝わるという、アニメーションの可能性と幅の広さを改めて再認識した作品でした。

結果、興行は大成功だったわけですが、時代の流れと共に、戦争映画でも、伝えたいものや残したいもの、というのは変わってきていると実感します。それは、「永遠の0」などでもそうですが、この作品は、「生きる」事を描いています。

印象的なのは、戦後、食糧不足の中、お菓子をもらったり、占領軍の残飯のようなものでも、味気ない日本食よりも美味しいという事実に対して、子供や女性はいち早く受け入れていた事です。終戦に怒りを燃やしたすずでさえ、敵国の食べ物を美味しく食べてしまった。それこそが女性の生きる強さであり、「食」というものの重要性を表しています。

戦争においては「食」というものが戦況を左右します。兵法では「兵站」を抑える事が勝利への鍵とも言いますが、ある意味、米軍は戦後の日本を「食」によって支配したとも言えます。意地だけでは生きていけないリアルさと女性の生きる強さを実感しました。

 

この世界の片隅に まとめ

女性の視点から戦争を描いたこの作品は、今までの戦争映画にない感動を与えてくれました。劇場版アニメは(おそらくは敢えて)所々説明が足りなくて、行間を読み取る事が必要な場面も多く、一度見ただけでは理解するのは難しいかもしれません。そういう部分を、今回の日曜ドラマは上手に埋めてくれているのではないかと思うので、劇場版アニメとドラマを併せて観ると、より理解が深まるのではないでしょうか。

この作品のテーマでもある、「どんな時でも笑っていることが幸せ」ということは、戦争という状況ではなくても同じ事が言えると思います。

よく「幸せになりたい!」と言う声を聞きますが、人は笑っていられる事が幸せなんだ、という事を再認識できました。どんな辛い事があっても、だから不幸なのではなく、生きていれば笑える時がくる。闇があるからこそ光という存在が際立つように、不幸な出来事があったからこそ、より幸せだということも実感としてわかるものです。

人生は一見辛いことの方が多いように思えますが、それも見方次第、受け取り方次第で、どんな時でも笑っていられる人は、きっと、どんな時でも幸せになれる人なのだと思います。

自分も、どんな時でも笑っていられるように、大切な人を笑顔にできるように、すずのように逞しく生きて行こうと思います!

 

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