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コード・ブルー 劇場版公開記念!第2弾 〜感動と面白さの秘訣に迫る〜
第1弾のおさらい
「前回までのコード・ブルー」という冒頭のセリフにあるような、各シーズンのあらすじと、コード・ブルーの大きな魅力の一つである「出演キャラ」について述べてまいりました。
今回の第2弾は、もう一つの魅力である「ストーリー」を中心にお伝えしていきます。
第1弾のコラムはコチラ↓
コード・ブルーの面白さ
命の瀬戸際を描くストーリー
何よりも、『コードブルー』の面白さは、そのストーリーです。
救命のドラマは、どれも医療の最前線というか、命の瀬戸際を描くものがほとんどですが、『コード・ブルー』はその中でも、ドクターヘリで現地へ赴き、その場で命のやり取りがあります。ギリギリで助けられる奇跡のようなことが起きたり、為す術なく助けられない患者も沢山いて、ある意味これほど人を助けられなかった医療ドラマもないのではないかと思うくらい、現実的に描いているのが特長です。
そんな中で私が感じる『コードブルー』の魅力は、突然の事故で大切な人が死ぬかもしれない、もっと言えば、自分が相手の命を決断しなければいけない、という重みをしっかりと描いているということ。子供が事故に巻き込まれ、脳死判定が下されて、子供の命を諦めなければならない親子のエピソードがあったり、友人や恋人を助けるために、自分の命を犠牲にしなければならなかったり、主役たちの苦悩や成長を描くのはもちろんですが、しっかり患者側の苦悩や助かった喜びも、背景をしっかり描いているから、そこに共感して感動ができたのだと思います。
物足りない3rdシーズンの理由
キャラの背景が見えにくい
ただ、3rdシーズンでは、ドクター側を中心に描いているにも関わらず、特にフェローの背景が見えず、フェローの成長を描くにしても、感情移入もできないし、共感もしにくい。さすがに、メインの5人に関しては、過去シリーズで、藍沢はおばあちゃんや父母との葛藤があったり、白石は自分のミスで上司の医者生命を断つことになってしまったり、父親との葛藤があったり、緋山は事故に巻き込まれ、生死をさまよい、さらには医療訴訟され、医者を辞めようとしたて遠回りしたり、藤川先生は落ちこぼれの烙印を押され、辞めろと言われても頑張ってフライトドクターになれたり、冴島は優秀なナースだからこその葛藤があって、愛する人の死があったり、そういった背景を十分わかっているので、成長も苦悩もわかります。
藤川先生と冴島さんが結ばれたのも、伏線回収として嬉しいし。過去フェローとして育ったメンバーが、今度はフェローを育てる苦悩もわかります。しかし「コード・ブルーらしさ」という部分では、フェローの背景が見えないため、らしさが薄れてしまったように思います。無理にメンバーを増やした、めちゃイケみたいな?エグザイルみたいな?そんな印象を受けました。
ストーリーの緊迫感のなさ
そして、全体的に緊迫感も足りない。救急医療ドラマは、緊迫感の連続ですが、3rdは緩い時間の方が長く感じます。ドクターが帰宅するシーンが多いし、フェローがスマホをいじってたり、ゆるいシーンがゆるすぎたり、何よりフライトの回数が少なくて(予算の都合?)、現場シーンが圧倒的に少ない。そういったコードブルーらしさが少なくなり、さらに恋愛要素が入ってしまったので、残念な3rdシーズンになってしまったように思います。
恋愛要素が入ってたとしても、フェローの背景や患者の背景もしっかり描けていれば、ここまで叩かれず、もっと面白い3rdシーズンになったのではないでしょうか。
3rdシーズンに対しては少し辛口になってしまいますが、劇場版に続くストーリーなので、避けては通れません。
コードブルー神回
人によって神回は違うとは思いますが、いくつかの神回を紹介します。
2ndシーズン 第3話「真実と嘘」
濱田岳がゲスト出演した回です。
松井(濱田岳)が、付き合い始めた彼女と友人(木沢)と3人でいる時、地下鉄の駅の階段で、将棋倒しに巻き込まれた拍子に、スキー板が三人を貫いて人間団子状態になってしまう。
上から、松井、木沢、彼女の三人で、松井は意識もしっかりしていて話もできるが、木沢と彼女の容体は徐々に悪化していき、治療を急ぐ。松井は一番元気だったので、二人を励まし続けていると、真ん中の木沢の状態が悪化し、心配する彼女の言動に違和感を覚える。苗字で呼んでいたのに、急に下の名前で呼び出したからだ。
彼女と付き合い始めたきっかけは、男に迫られて困っているという相談に乗っていて恋愛に発展したのだが、それは松井の勘違いで、実は木沢と付き合っていたのだ。この日もちゃんと話した方がいいという木沢の提案で、3人で会ったのだが、事故に巻き込まれた。
二人を守ろうとしてスキー板に刺さってしまったのだが、嘘を付かれていたことにショックを受け、それすらバカバカしくなってしまう。
藍沢「あなたを傷つけない為の嘘でしょう。」
と諭すが
松井「そんなの、自分が傷つきたくない為の嘘でしょう?」
と返す。
藍沢「そうとも言います。」
と言う、が、これも、経験ある人には中々辛いことですよね。
一旦処置で安定したが長くは持たない為、どうやって救出し搬送するかを打ち合わせると、搬送する為には、一番上の松井を持ち上げてスキー板を切断するしかない。そうすれば下の二人を搬送できるのだが、動かせば、一番元気そうな松井は、スキー板が動脈を塞いでいた為、大出血してしまい命の保証はない。しかし、二人を助けるには方法はそれしかない。
「たとえ残酷でも、真実を知らせた方がいい。」
と、藍沢が松井に残酷な真実を告げる。
自暴自棄になっていて、とっととやってくれというが、命の保証がないと聞くと、どうでもよくなってしまう。しかし、これが最期と観念し、犠牲になることを選ぶ。
最期には、二人のことを見守っていると告げ、搬送のため松井を動かすと、大量出血し、意識を失う。
藍沢による懸命な治療も虚しく帰らぬ人となる。橘たちも、帰りのヘリで、二人を助ける為に懸命に話しかけ、命をかけて助けた松井のことを、「すごいなぁ」と尊敬するほどだった。
幸せだと思っていたのは勘違いで、しかも彼女と大切な友人に嘘を付かれていた。その上、自分は助からず犠牲になることで二人を助けられる、という不運にもほどがある状況になっても、最後には二人を助けることを選ぶのだが、その思いに涙が止まらない。果たして自分がその立場になった時に、その決断ができるのか。この役を濱田岳が演じたことがとても合っていて、それがさらに感動を引き出してくれた。
さらにこの回は、同時並行で白石が直接心臓マッサージをしている患者がいるのだが、疾患があり自発的に心臓が動くことはなく、回復する見込みはない。事情を両親に話し、心臓マッサージを止める確認をすると、「あなた鬼?生きてる人間を見殺しにするなんて、なんなの!だったら続けてよ!止めないでください!お願いします!」と言われてしまう。
母は頭を下げて懇願するも、父は観念し、白石は「残念です」と言い、心臓マッサージを止め、治療を終える。親の気持ちとしては、医者がきて助かるもんだと思っていたのが、助からないどころか、目の前で為す術なく愛する我が子の命を諦めなければならないのだから、鬼と言いたい気持ちも痛いほどわかる。
現場からの帰り、藍沢と白石は電車で病院に戻るのだが、緊張の糸が切れた白石は泣き出してしまう。周りが騒ぎ始めると、藍沢はそっと白石の前に立ち、周りに見えないようにするのだった。
特にこの回は不運に次ぐ不運の回でもあるのですが、だからこそ、そこから見えるものや感じるものはとても大きいように思います。友を思う気持ちや、子を思う親の気持ち。人間の本質に迫る、私にとってはまさに神回でした。
2ndシーズン 第6話「秘密」
大量出血により搬送された51歳の女性。肝臓がんが見つかり、それが元での吐血だった。高校生の息子がいて、受験生でもあるので、心配をかけたくないから息子には知らせるなと言う。成績優秀で自慢の息子だから、余計な心配をかけたくないと言う。息子が着替えを持ってきた時も、心配をかけまいと気丈に振る舞うが、身寄りは息子しかいない。
息子にガンの告知は伏せているものの、吐血して搬送された原因を説明すると、あっさりしたもので、そうなるのも当然だと。本人は医者を目指しているがそれを母親には伝えていない。母はバカだからと。
無責任な発言に、白石が「学校に行けるのはお母さんが働いてくれてるおかげでしょ?」と言うと、「あの人にとって自分は自慢なんで、持ちつ持たれつでしょ?」と冷めたもの。それは、昔から母親が自分に嘘をついてきたということが背景にあった。
母親はまた吐血し、搬送中血を吐きながらも、息子には言わないでと懇願する。一命は取り留めた後、藍沢は息子に告知するが、息子は顔色一つ変えず、「知ってますよ。ずっと近くで見てるんですよ」と、淡々と答える。本人が隠そうとしてるなら、信じてる振りをしてやった方がいいだろうと答える。しかし、母親の命は持って一ヶ月だと聞いた時は、さすがに動揺する。
受験に向かう前、母親のお見舞いに来た時、母親は肝臓がんとは言わず、胃潰瘍だと嘘をつき通す。遅れるから早く行けと息子にいうが、息子はその嘘を受け止める。そして、「受験なんて楽勝だ。」
「合格発表は1ヶ月後。また自慢できるな。」
「四月の入学式も呼んでやるよ。」
「それで、6年後には医者になる。そしたら、また自慢だ。」
母は、初めて息子が医者を目指していることを知る。
「東京に戻ったら、開業する。店のすぐ近くで。そしたら、一生自慢だ。」
ー「そうなったらいいねぇ」
「なったらじゃないよ。なるんだよ。知ってんだろ?俺の頭。店の客、全部診てやる。タダで。ずっと、ずっと自慢させてやる。これからもずっと。」
「だから、生きてろよ。戻ってくるまで、生きてろよ。」
「たまには守れよ、約束。」
ー「頑張ってみるよ。」
初めて感情をあらわにした息子。
嘘だとわかっていても、叶わないとわかっていても、初めて息子が本心を示した瞬間だった。
また、この回は、緋山が担当した脳死の少年と母親の物語もあり、DNRオーダーを取らずに延命装置を外した回でもあります。緋山の少年への思いと、母親との関係性も目が離せない重要な回でもあります。
家族には、色んな形があって、色んな思いの伝え方がある。嘘だって、意味があったり、理由がある。何が正しいとか間違ってるとか、当人達しかわかりえないことがあるのでしょう。これが答えだ、これが素晴らしいなんて押し付けることはなく、色んな受け取り方ができる表現をしているのが、コード・ブルーの面白いところであり、深いところだなぁと実感し、考えさせられる神回でした。
文字面でどれだけ伝わるかはわかりませんが、過去シリーズでは、医者と患者の関係性、患者やその家族の背景をしっかり描いているので、言葉に重みがあり、説得力があります。過去シリーズには、このような神回が他にもありますが、3rdシーズンは、深みが足りないですね。強いて言うなら、第2話の父と娘の話は、泣けちゃいました(あるんやないかい! (笑))
若くして妊娠した娘と男手一つで育てた親子の話
特に、2ndシーズンは、テーマの一つとして「嘘」ということがあり、藍沢をはじめ、色んな関係性の中に「嘘」による苦悩や、どんな秘密があるのかが描かれています。
「嘘」が良い悪いとか言うつもりは全くありません。ただ、「真実」がどうとか、「真実」を知るべきとか、何が「嘘」で何が「真実」かなんて、実は大した意味はないんでしょうね。そこに、どんな思いがあって、意味があるのか、ということの方が大事なんじゃないかと、今は思います。とはいえ、嘘を付かれて、というより騙そうとされて、嬉しいもんではないですけどね。だから、嘘だと気付かせないか、嘘を本当にすればいい、とも言えますよね。
コード・ブルー 面白さの真髄
感動ポイントは沢山あり、人によって感動するポイントも違います。それでも、なぜコード・ブルーがここまで面白く人気が出たのか。そこを掘り下げていきたいと思います。
キャラの背景をしっかり描けている
主要キャラはもちろんですが、一人一人の患者、その患者の家族や大切な人など、そこで登場する人たちの背景がしっかりと描けている為、その演技に説得力があります。だからこそ入り込めるし、感情移入もできます。そのキャラの気持ちもわかります。その患者にも教えられることがあり、フェロー達が成長していくところもまた、心に響きます。
1st、2ndシーズンと、主要キャラ5人が、3rdシーズンで帰ってきた!と感動したのは私だけではないはずです。それは、キャラがしっかりと立っていて、間の7年間をしっかり生きていたからだと思っています。アニメと違い、ドラマは役者が演じますが、ドラマと同じ月日を過ごしていることもあり、うまくフィットもしていたし、きっと役者さんたちの中にも、コード・ブルーで演じた存在が、自分の中にあったんだろうと思うのです。
「らしい」と思えること
藍沢先生らしいねとか、藍沢先生らしくないっていうセリフがありますが、これって、実は結構重要なことだと思うんです。
コードブルーの世界の中で、藍沢先生は生きていて、仲間からしたら「らしい」ってわかるのはもちろんですが、観てるこっちが、◯◯らしいなぁと思えるか思えないかっていうことが、作り手の表現しだいなんです。
「らしい」って思えるくらい表現できていれば、感情移入もできるし、気持ちも理解できて、感動できるんです。
表現する為には大事なものが2つあります。
1つは脚本。ここまで述べてきたことですね。
もう1つは、演技力です。時に、演技力が脚本を超えることもありますが、この2つが合わさると、よりキャラが引き立ち、ストーリーを盛り上げてくれます。
主役5人は、1st、2ndの時はまだ若手で、児玉清、柳葉敏郎、りょう、椎名桔平、寺島進、勝村政信らがいたことで作品全体が引き締まりましたが、3rdでは、主役5人が完全にメインになり、引き締めるには少し物足りず、さらに若いフェローが4人も増えたことで、緊迫感や緊張感が弱まり、迫力もなくなってしまったように感じます。
主役5人も主役を張れる役者に成長したとは思いますが、熟練俳優が少なくて、物足りなさがあったのも事実です。児玉さんやギバちゃんのような方が一人でも脇にいたら、良かったんじゃないかと思います。というか、黒田先生退場は残念でした。
ご都合的過ぎない現実的なストーリー
ドラマなので、多少大事故は起きやすいですが、様々な事故等によって被害に遭う人は実際にいます。そこで起こる人間ドラマも、実際にあります。コード・ブルーは、基本主要キャラの抱える問題に照らし合わせて、同じような悩みを抱える患者が現れます。患者を通して気付かされることもあったり、同じ経験をしたからこそ、患者の救いになるような言葉をかけられたりすることもあります。そして私たちは、その物語を知っているからこそ、その辛さや苦しみも知っています。全然関係ないような所から、意外な所で繋がっていたり、形は違えど行き着く先は同じような問題を同時に乗り越えていったりします。そういったストーリー展開は見事ですし、キャラの背景がしっかり描かれていることも相まって、そこから得られる感動はより大きなものになります。
あなたにも訪れるかもしれない「突然の別れ」
救命の現場では、様々な人が様々な理由で存在します。新婚旅行の代わりに小旅行にでかけた夫婦。仕事が落ち着いてやっと子供と暮らせるようになり、家に帰る親子。結婚式に向う途中、線路にいたおばあちゃんを助けようとした夫婦。大事故の場合は、更に様々な人間模様があります。
そして、助かる命もあれば、手遅れの人もいます。最善を尽くしても、どうすることもできない場合もあります。トリアージが必要な大事故現場では、助かる命を優先にしなければならない為、まだ息があっても、他の助かる患者を優先しなければなりません。見方を変えれば、大切な人を捨てられるかもしれないわけです。見捨てられる家族からしたら、たまったもんじゃありません。そこには悲痛な叫びが飛び交います。当然です。もし自分がその立場だったら、何としても助けてもらいたいと思うはずです。
しかし、医者は限られており、医者も助けたいんです。助けられない苦しみや、見捨てなければならない苦悩もしっかり描かれていることが、コード・ブルー最大の魅力だと、私は思っています。
大切な人の死と向き合うこと
あなたの大切な人が、突然死んでしまったらどうしますか?
コード・ブルーは物語を通じて、「思いを伝えること」がテーマとして描かれています。だからこそ、「命を優先する」のです。黒田先生がそうだったように、生きてさえいれば、「生きててよかった」と思える時がくるはずです。もちろん、それ以上に辛いことや苦しいことがあるかもしれません。ただ、言ってしまえば、健康だろうが障害があろうが、生きていくことは、辛いことの方が多いでしょう。その大きさは人それぞれですが、辛いくて苦しいからこそ、幸せであることに気付くことができるのです。これは綺麗事かもしれませんが、事実だと思います。
苦しみの渦中にある時には考えられないかもしれませんが、受け入れて乗り越えた時、そこで得られるものは、その苦しみを乗り越えなければ得られないのです。ある意味、結果論かもしれませんが、もしかしたら、そこに行き着く為に起こった事故や怪我、病気、経験なのかもしれません。
私は数年前に父を亡くしました。コード・ブルーにあるような突然の別れではなく、がんによる闘病の末でした。奇しくも、白石のお父さんと同じ肺がんでした。私の場合、既に一緒には住んでおらず、遠くに離れ離れだったので、看病も介護も何もしてなかったし、できませんでした。別に命を諦めたわけではないのですが、やはり確実にその日が来るんだろうなとは思い、現実を受け入れました。その上で、自分にできることは何かと考え、父との時間を振り返り、自分の人生を見つめ直しました。そこで思ったことは、父の子として生まれてこられた感謝でした。そこで生まれたのが「愛爆(愛の爆弾)」という映像の贈り物でした。
父への「愛爆」は2度で終わってしまいました。感動によって、もしかしたら治るかもしれないという奇跡を微かに期待しましたが、物事そんなうまくはいきませんでした。あまりにも早い別れではありましたが、それでも、息子として父に伝えたいことは伝えられたと思っています。人はいずれ亡くなるし、それが遅いか早いかと言われていますが、少なくとも、私は父への思いを伝えられました。よっぽど、コード・ブルーの中に出てくる人たちより幸せだなと感じます。
ある意味、余命がわかることは、ありがたいことなんだと思い知らされました。向き合う時間と支えられる機会があるからです。思いもよらない突然の別れほど、辛いものはありません。でも、その時が来たら、受け入れて向き合わなければなりません。コード・ブルーで描かれるその姿に、私は一番の感動を覚えます。それだけ凄いことだからです。
命がけで伝えたい思い、愛、という意味では、以前コラムに取り上げた『ヴァイオレットエヴァーガーデン』は、まさに「思いを届けること」「愛してるの意味」を描き続けた名作です。ぜひチェックして頂きたい作品です。
『ヴァイオレットエヴァーガーデン』愛する人はずっと見守っているのコラムはコチラ↓
生ある者、必ず死が待ち受けています。いつその時が来てもいいように、大切な人に「伝えたい思い」を伝えることや、向き合っていくことが大切なんだなと、コード・ブルーを見て、自分自身が体験したことです。
コード・ブルーを支えた『HANABI』
主題歌はご存知、MR.CHILDRENの『HANABI』です。3期通じて主題歌を担当し、劇場版の主題歌も『HANABI』になりました。そして、オープニングも、全期通じてあのBGMです。人気作の新シリーズが始まれば、主題歌も話題になり、売上にも大きく影響します。タイアップによる影響は、ミュージシャンやレコード会社からしたら、かなり大きな問題です。しかし、コード・ブルーは主題歌の『HANABI』を変えず、OPのBGMもそのままにしました。
もしミスチルが新たに主題歌を担当したら、また新たな名曲が生まれたことでしょう。それもアリだとは思いますが、コード・ブルーは、業界のアレコレとかに左右されず、あくまで作品を優位にしたのではないかと思うのです。結果、OPのBGMや『HANABI』が流れると、コード・ブルーの映像が脳裏に出てきますよね。
これこそが、「コード・ブルー」というブランディングというか、「コード・ブルー」を特別なドラマに仕立てた戦略だったのではないでしょうか。
ドラマ制作や映画など、制作やプロモーションで莫大な予算が必要となり、提供が必要です。タイアップをすることで、CDの売上という部分で資金が増えるものですが、そういう所で本筋からずれてしまうこともあります。周りの目を気にして迎合するか、自分を貫き通すか。業界には色んなルールや軋轢があります。そういった中で、音楽に関しては、「コード・ブルー」という作品を際立たせることができたのではないかと思います。
虹見式(ドラマver)で採点すると
虹見式・六性図 | |
---|---|
①キャラクターの魅力 | 15 |
②ストーリー | 15 |
③演技力 | 14 |
④主題歌 / BGM | 15 |
⑤キャスティング | 14 |
⑥感動度 | 25 |
合 計 | 98 |
アニメの面白さをを示す「虹(二次)見式」ですが、せっかくなのでドラマversionでお送りします。
もう、文句のつけようがない採点になりました。魅力はすでにお伝えしてきたので、ここで細かくいうつもりはありませんが、ほぼ満点です。
ちなみに、私にとって「コード・ブルー」は、歴代2位の作品です。1位の作品は、文句なしの満点です。その作品は・・・そのうち紹介したいと思っています(笑)
コード・ブルーまとめ
10年に渡ってシリーズで描かれてきた「コード・ブルー」。今回の劇場版をもって最後となるのか。私は先日劇場版を観てきて、ネタバレはしませんが、これで終わりでもいいという思いもあるし、またその後どうなったのか観たいという思いもあります。無理に続けてしまうと蛇足にもなり、コード・ブルーの世界が崩壊する危険性もあります。
あくまで「コード・ブルー」の物語は、藍沢、白石、緋山、藤川、冴島5人の物語です。そこの上司がいて、同僚がいて、後輩がいて、助かった患者、助けれられなかった患者、その家族がいます。
もし続編をやるなら、別の軸でスピンオフというような形でならいいかもしれませんね。というのも、5人を描いた「コード・ブルー」の世界は完結しているからです。それは、実際にあの世界が存在しているかと思うほどです。そこまで描けたからこそ、これだけの面白さや人気が出ました。
という訳で、数ある医療ドラマにおいて、トップクラスの名作『コード・ブルー-ドクターヘリ-』をお送りしてきました。好みはあるとは思いますが、他のドラマでは中々味わえない感動が沢山詰まっています。
神ドラマ認定の『コード・ブルー』 この夏ぜひご覧になってみてください!!
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