聲の形 誰もが胸に突き刺さる、思春期の苦しみを描いた名作

聲の形 誰もが胸に突き刺さる、思春期の苦しみを描いた名作

 

【神アニメランキング虹見式】今回のコラムは「聲の形」です!

この作品は、京都アニメーション制作によるアニメーション映画で、多くの芸能人や著名人の方々がオススメしている作品です。

高校2年生の主人公が、小学6年生の時に起きた出来事をきっかけに心を閉ざし、他人と関わることを避けてきた背景を回想しながら、自分自身と大切な人に向き合っていく姿を通して物語は進んでいきます。

思春期特有の人間関係や、いじめ、不器用さ、そして死生観が描かれます。

成長していく上で、必ず誰もがぶち当たる悩みや問題がありますよね。それに本気で向き合うことは、とても勇気がいるし、簡単なことではありません。

実は多くの人が、目を瞑ったり、見ないふりをして過ごしたことがあるのではないでしょうか?

もしそんな風な経験をし、現在大人になっていて、何か胸の奥につっかえるものがあるとしたら、ぜひこの作品を見て、昔の自分を思い出して向き合ってみたら、きっと何かが変わるきっかけになるかもしれません。それくらい多くの人に見てもらいたい名作です!

 

聲の形を虹見式で採点すると・・・

虹見式・六性図    
①キャラクターの魅力 13
②ストーリー 14
③声 優 14
④主題歌 / BGM 11
⑤キャラデザイン / 作画 13
⑥感動度 24
合 計 89

ストーリーが高得点なのはもちろん、注目すべきは難聴の少女、西宮硝子を演じた早見沙織さんの演技力!カミィさん推しでもある「さおりん」の演技は、難聴という難しい役どころの、まさに「声にならない声」を見事に表現しています。

とにかく色々と考えさせられるテーマです。

出てくるキャラに、特別な人は一人もいません。逆に言えば、誰しもが特別だとも言えます。誰もが特別なら、それは特別とは言えないですもんね。そんな言葉遊びはいいとして、あなたにもきっと何か一つ、いまだに尾を引いている思春期の頃の引っかかる問題があると思います。

思春期真っ最中の人も、ちょっと前の人も、もうずっと前の人も(笑)、色んな視点でお楽しみいただける作品だと思います。

ざっくりストーリー

小学時代に起きたいじめがきっかけで、ずっと心の中に重苦しいわだかまりを抱えた少年が、高校生になってからあらためて自分と向き合い、人生と向き合い、大切な人と向き合っていく物語・・・

 

聲の形 物語の始まり

自殺を考えている主人公・将也

石田将也は、4月15日に自殺をしようとしていた。(ちなみに、私MAXの誕生日に死のうとしやがった(笑))

それまでに、母親に返すお金を貯め、バイトを辞め、漫画や布団まで売り、身辺整理をしていた。

14日、唯一の心残りだった、西宮硝子に会いにいく。

15日朝、母の涙ながらの思いに、自殺することをやめたのだが、西宮に会ったことから、将也は過去と向き合うこととなり、物語は過去を振り返りながら進んでいく。

今まで見ないようにしていたものを直視し、うわべの人間関係ではなく、本音で向き合わなければならなくなった。

 

いじめをしていた過去

小学生の時、将也はクラスのガキ大将だった。ある日、西宮硝子が転校生としてやって来た。西宮は、耳が聞こえなかった。将也にとっては、ゲームで攻略が難しい敵ボスのようにしか感じていなかった。最初は物珍しさもあり、クラスメートは積極的に声をかけていたが、徐々に好意的な生徒と煩わしく感じる生徒に分かれ、クラスの中で目立つ西宮をうざったく感じ、いじめるようになった。そんなある日、将也は硝子の補聴器を取り上げ捨ててしまい、その時に怪我をさせてしまう。

西宮の母からいじめがあるのではないかと学校に問い合わせがあり、学級会議が開かれた。そこでいじめの筆頭だった将也は先生から名指しで立たされ、吊るし上げられた。高圧的な先生の態度に、従わざるを得ない生徒たちは、次々に翔也を裏切り、いじめの対象は西宮から将也に移ってしまった。

いじめっ子だった将也は一夜にして立場が逆転し、いじめられるようになってしまった。親友だと思っていた友人に裏切られ、クラスのみんなが自分をいじめるようになった。中学校に行ってもいじめは続き、将也は心を閉ざし、孤立した。クラスメイトだけでなく、人の顔にX点を付け、見ないようにしていたのだ。

加害者でも被害者でも傍観者でも、誰もが「いじめ」というものには関わったことがあると思います。「いじめ」をメインに取り上げている作品も色々ありますが、この作品では、「いじめ」によってその後がどんな風に描かれて行くのか、むしろ、今の現状は、過去にあったいじめによるものだった、という風に描かれています。

相関図

 

心を閉ざした現在

そんな彼に徐々に変化が訪れる。

昼食はいつも一人で食べていたが、同じように一人で食べているクラスメイトがいた。そんな彼が、帰りがけに不良に「チャリ貸せよ」と絡まれていて、「誰か助けてー!」と「誰か」という将也に助けを求めると、将也は助けに入り、渋々自分の自転車を貸す。それをきっかけに、助けられた長束は、将也の友達になった。


はい、ぼっち同盟の誕生です(笑)

下手したらさらに浮きかねないぼっち同盟ですが、まぁこれは仕方ないですし、よくあることですよね。

特に修学旅行なんかのグループ分けは、イケてるグループ、イケてないグループ、そしてあぶれグループに分かれたりしますよね(笑)

MAXは中学校の時は、将也程ではないですが浮いていたので、あぶれグループになりましたが、高校の時には見事イケてるグループになりました!(笑)こういうことって、その時にとっては重要なことでも、後からしたら全然大したことない事なんですが、これこそ思春期ならではのことですよね。

本当に気の合う奴と一緒で居られれば、イケてるもイケてないもないのに。そうやって、どう見られているかに異常に過敏なのは、思春期の特徴かもしれないですね。

 

いじめの構図は、多数派対少数派

いじめというのは、大抵多数派が少数派や個人を対象にします。なぜなら、安全だからです。そして、歴史を見てもわかるように、多数派に対して反対するものや、多数派内の異分子があると、排除する傾向があります。それが学生時代には顕著に現れます。

なぜ排除しようとするのか。それは、自分を守りたいからです。何か、やましいことや、隠しているものがあると、それがバレないようにする為には、不信者を排除するしかありません。

「破門」という言葉がありますが、その語源は基本的には宗教にあります。
その教えを信じられない、守れないのであれば、破門するしかありません。そういった独特な空気感や関係性が、学生時代にはあります。だからいじめは起きるのです。それはもう残酷なものです。

いじめられる人の多くは、他者とは違う、目立つ、目立たない、珍しい特徴がある、他者とは相容れないものがある、などといったことが挙げられます。もちろんこれらだけではないですが、西宮は「難聴」という障害があり、将也は「悪目立ち」してしまった為、少数派になりいじめられました。

おそらく、多くの人に他者とは違う何かしらの要因があり、いじめられた経験があるのではないでしょうか?

 

西宮の告白

将也に再会し、手話を覚えていたこと、とても優しく接してくれて、積極的に関わろうとしてくる将也に対し、西宮は恋心を抱く。いつもは、補聴器が見えないように髪を下ろしているが、ある日、硝子は髪を上げポニーテールにして、いつもより明るい姿で微笑んでいた。

それに気づいた妹の結弦は、将也に見せてやろうと画策し、二人は街で会う。いつもなら手話で会話するのだが、この日の硝子は手話をせずに話しかける。

「私の声、変?」

と聞くと、いつもと違う姿にドギマギしながら、硝子の言葉をうまく聞き取れない将也に、「変・・・」と答えられ、ショックを受ける。

ばつの悪い将也は帰ろうとするが、硝子は無理やり自転車を止め、

「ちゅ・・きっ!」

と勇気を出して言う。しかし将也は、

「あぁ、月? 綺麗だね…」

と的外れに答えてしまう。
気持ちは伝わらなかったが、すっかり将也を好きになっている硝子だった。

その後、硝子に避けられているように感じた将也は結弦に相談すると、「誘ってみれば?」と言われ、友人達とグループで遊園地に行くことになった。

 

自分と向き合うべく進むストーリー展開

遊園地での出来事

西宮硝子との再会をきっかけに、小学生時代に関わった友人達と再会していく。そして、X印を付けていたクラスメイトにも、話しかけたりしたことをキッカケに、徐々にX印が外れていく。そして、将也とも友達になりたいというクラスメートも現れる。

硝子に告白をされたことがきっかけで、遊園地に友人達と出かけ、友達と普通にするやりとりに、

「いじめをし、いじめられて心を塞いでいる自分も、友達がいて、楽しいんでいいんだ」

と、少し自分の心を解放することができた。

そこで、植田のお節介で、かつて自分をいじめる側にいた島田と再会する。
いじめられていたことを思い出し、将也はせっかく解放できた心をまた閉ざしてしまい、島田と植田の顔にX印が貼られてしまうのだった。

「西宮がいなければ平和だった」

植野が将也に言ったセリフ。小学校の時に西宮が転校してきた事で、クラスの人間関係は変わってしまった。ただのやんちゃだった将也はいじめっ子の立場を確立し、吊るし上げによっていじめられっ子の立場へと逆転した。友達を失い、心を閉ざし、周りも自業自得と思ってか見て見ぬ振りをした。

植野も、将也に対して負い目があったから、将也をいじめていた嶋田と引き合わせて仲直りさせたかったのだろう。しかし、それは逆効果で、再び将也の心を閉ざすこととなり、植野は自分の軽率な行動に気付かされたのだった。

将也は、その時初めていじめていた硝子の気持ちを考えるのだった。いじめていた自分が、いじめられていた硝子に今していることは、無責任だったということに。

いじめられていたかどうかより、当人の気持ちが一番だとは思いますが、自分が感じたことを元に、相手の気持ちを考えることは大事ですよね。少なくとも将也は、初めて西宮硝子の立場になって考えることになりました。

もし西宮が転校して来なかったら?西宮が耳が聞こえる普通の女の子だったら?

そんなことは、パラレルワールドでしかあり得ません。よく、自分がこうじゃなかったら?みたいなことを言う事がありますが、そんなことは、無駄以外の何物でもありません。

もし私が○○じゃなかったら?そこを考える意味は一切ありません。なぜなら、事実としてそうなのだからです。○○だとわかりにくいですが(笑)、良くも悪くも、西宮は耳が聞こえないのです。努力して変えられるものなら、努力すればいいですが、努力でどうにもならないこと、特に「コンプレックス」と言うものは、人がどう思うかと言うより、自分がどう思うかと言うことの方が大きいものです。

どんなにコンプレックスに思っていても、意外と周りは何とも思っていません。そう思っているのは自分だけだったりします。

無駄な努力はないと思いますが、無駄になる努力はあると思います。西宮が、自分の耳が聞こえないことを悩み続けることは、無駄になる努力です。努力ですらないですが。だから、「西宮がいなかったら」と考えることは無駄なんです。西宮は、実際にいるんです。

あなたの周りにも、「こいつさえいなければ」という人はいませんか?私にはいました(笑)そう考えている間は、嫌で嫌でイライラしてましたが、ある日、ある発見をしました。この人がいることで、こんなことに気付けたなと。すると、数日後、その人とは会うことはなくなりました。あ、死んでないですよ!?私は何もせず、相手が異動になったんです。

「鏡の法則」というものがありますが、現実世界は自分の心の内側が映し出された世界です。

外にある誰かや何かを必死に変えようとしているのは、鏡に映った自分の寝癖を鏡に向かって直そうとしているようなものです。当然寝癖は直りませんし、余計にイライラします(笑)。寝癖を直すには、鏡に映った自分ではなく、自分の本体の方の髪形を修正すれば、あっという間に寝癖は直りますよね。

自分の外にいる誰かを「変えよう」としても、相手は変わりません。そうではなく、自分自身、自分の中身、自分がその人や物事に付けている「意味づけ」を変えることで、外の世界は変わります。変わるというより、「気にならなくなる」のです。そうすると、不思議と相手が変化したり、どこかに異動したり、急に優しくなったり、自分にとって「いい人」に変わってしまうという状況がおきたりします。

このように、「こいつさえいなければ」ということを考えるのではなくて、逆に「この人がいるおかげで、自分の心のクセに気付けた!」と考えてみると、違う発見があるものです。そうすると、状況が全く変わってしまうことがおきます。

重要なのは外ではなく、自分の内側にこそ、向き合わなければならないのでしょうね。

 

嫌い同士という関係も成り立つ

植野は西宮を誘い、二人で観覧車に乗った。後日、二人の会話を録音していた妹の結弦が、将也の元にやってくる。そこでなされた会話は、植野の西宮への思いだった。植野は西宮が嫌いだった。だからと言って、仲良くやろうなんて思わない。嫌い同士のまま仲良くしましょうと。

西宮は、今までのように、「ごめんなさい」と謝るが、植野はそういう所が嫌いだった。西宮に手をあげ、

「あんたがいなければ、石田が孤立することもなかった!」

と告げる。

「私は、私が嫌いです!・・・」

と答える西宮。しかし、西宮がどれだけ自分を嫌っていても、何も状況は変わらない。密室でのやりとりは、二人と将也の心に深い影を落とすのだった。

身近な関係であれば、お互い好き同士であるに越したことはありません。しかし、嫌い同士でも、ある意味その関係は成り立つんだなとも思います。無理に嫌いになれないように、無理に好きになることはできません。嫌いなら嫌いのままでいることも、決して悪いことではない。本当に必要な相手であれば、好きになれる時が必ず来るはずです。仲良くした方がいいから、仲良くしなきゃいけないから仲良くするのは、嘘ですよね。この作品は、随所にそう言った本質的なことが描かれています。

 

「自分が嫌い」は卑怯な逃げ方

「自分が嫌い」と言う人がいます。これは、卑怯な逃げ方だなと思いませんか?少なくとも、植野はそう感じたはずです。「自分が嫌い」と言って自分をサゲれば、相手にサゲられることはない、嫌われても既に自分が嫌いという予防線を張っているようにも感じます。別の言い方をすれば、「自分が間違ってるのはわかってるけど、こう思うんだよね」みたいな言い方をする人もいますよね。そう言われると、それ以上言えないようにさせている効果があるのでしょう。何が言いたいかと言うと、「自分が嫌い」というような言い方は、きちんと自分と向き合ってない証拠だと言うことです。「間違ってるのはわかってる」というような言い方も、本当にそう思うなら言うなよって思います。こういう言い方はやっぱり本質から逃げています。

 

思春期における悩み

思春期には、独特の自意識過剰さも相まって特有の空気や力関係があります。まだ成熟しておらず、未熟が故に、自分を守る為に、着飾ったり、友達とグループを作って幅を効かせたり、親の力を利用したり、自分を大きく強く見せようとします。

その時にはどうにもならない問題はあります。解決する力もないのに、無理に解決しようとしても、どうにもならないどころか、かえって事を荒立てかねません。

よく、悩みは「時間が解決する」と言います。それは事実です。時が経ち成長し、環境が変われば、悩む必要がないからです。
問題なのは、悩んでいることに気付かないことです。自分の悩みを認識していないということ。つまり、過去の傷や過ちを、見ないフリして自分を正当化して、解決しなければいけない問題にフタをしたままにしてしまうことです。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言います。それは確かにあるでしょう。
私は、「自分に必要な問題しか起きない。」もっと言えば、「自分自身で問題を用意している。」と思っています。

問題を問題だと捉えるのは自分自身です。人によっては気になる問題でも、全く気にならない人もいます。

 

つまり、物事というのは、それを捉える人次第ということです。

 

だから、「問題」だと見えるということは、自分にとって必要な「問題」なんです。

そして、思春期特有の時間に起きた問題は、その場で解決すべきものもあれば、時間をかけて熟成してから解決すべきものもあるのではないかと思います。

先に述べたように、その時ではどうすることもできない問題があります。そういう問題は、解決できる時まで時間を待ち、いずれ、その問題(の本質)と向き合わなければならない時が来るのです。

将也にとってはそのきっかけが「自殺」であり、自分と向き合ったおかげで、心残りだった西宮硝子に会うという行動になり、それが、当時ではどうすることもできず、こんがらがってしまった問題を、将也のみならず、その問題に関わり、向き合うべきだった当時のメンツが集まり、それぞれが問題と向き合ったのです。それによって、一見バラバラになりますが、その時点では上っ面の表面的な友情だったのが、問題に向き合ったことで、本物の友情になっていきます。

辛いことから目を背けて生きていくのは、一見楽ではありますが、問題から逃げ続けて生きていても、自分の人生に満足も納得もいかないでしょう。

だから将也は自殺を考えた訳ですよね。

しかし、それをきっかけに正面から問題と向き合って、自分に大切なものがある事を知り、自分を大切に思っている存在に気付くわけです。

 

橋の上会議

遊園地に出かけた後日、変な空気が流れたことで、羽柴から西宮さんはいじめられていたのかと聞かれる。焦った将也は、川井に問いただすと、クラス中に聞こえる声で、将也が西宮をいじめていたと、公開処刑してしまう。


その場にいられなくなった将也はクラスを飛び出し、西宮といつも会う橋の上に逃げていった。
心配した長束達は、橋の上に集まり、遊園地に行ったグループで再会するのだった。

川井が、「石田くんが西宮さんに謝れば、皆許そうって話したの」と言う言葉から、植野が「私たちに石田を責める権利はないでしょ?」と諫める。一番いじめていたのは将也ではあるが、言い出しっぺの川井も、西宮を守ることもなく、同調して笑っていた。仲の良かった佐原も、どうすることもできなかった。それぞれがそれぞれの思いを打ち明ける中で、将也が顔を伏せながら、一人一人に辛辣な事を言う。

「やめろ。俺が全部悪いから」と。

植野には「自分勝手に何でもかんでも決めつけんなよ」と。

佐原には「どうせまた逃げて後悔すんだろ?」と。

川井には「川井、しゃべるな。昔からお前は自分が可愛いだけなんだ」と。

長束には「俺のことよく知りもしないくせに味方とか言ってんじゃねぇ」と。

真柴には「部外者のくせに口を挟むな」と。

険悪なムードになり、一人一人が立ち去り、その場には将也と西宮、結弦の三人だけになった。
将也は、西宮には取り繕い、これから夏休みに入るから、遊びに出かけようと誘うのだった。

将也の本音

本音でぶつかることは大事です。でも、時として深く傷つけることや、嫌われることもあります。将也の本音は、その両方だと言えるでしょう。言わなければならないことではないでしょうけど、その思いを抱えたまま、本物の友情にはなり得ません。
言い方は別にして、自分自身と向き合わざるを得なかった将也が、あの場でぶちまけたことは、一見関係がバラバラになるように見えて、必要な過程であり、創造の為の破壊、と言えるかもしれません。

見ていてとても辛くなるシーンですが、決して将也を責められません。

 

西宮の葛藤(ここから重要なネタバレ注意)

夏休みに入り、西宮は将也の誘いを受けて、何度も出掛けたり遊んでいた。時には、将也を嫌う西宮ママの誕生日パーティーにまで参加するようになった。徐々に西宮家と親密になって行き、ついには花火大会にも一緒に行くことになる。


花火を見ながら将也と二人になった時、西宮の誕生日を尋ねると、既に過ぎていたため「来年は一緒に誕生日を祝おうな」と将也に言われ、微笑む西宮と照れる将也だった。

しかし西宮は、「勉強するから」と途中で帰ってしまう。そこに戻ってきた結弦に、
「カメラを取ってきてくれよ」とパシられる将也。西宮の家に行くと、鍵は開いており、中は暗い。外には花火が見える、ベランダに西宮の姿があった。そこにいたんだ、と思っていると、西宮はベランダのヘリに乗り出し、飛び降りようとする。

慌てる将也はテーブルにつまずいてしまう。「硝子ー!」と叫ぶ将也の声は届かず、西宮は飛び降りてしまう・・・。

 

 

 

間一髪西宮の手を掴んだ将也は、心の中で神様に願う。

「明日からは、ちゃんと人の顔を見ます。声も聞きます。だから、少しだけ力を貸してください」

支えていた脚を払い、両手で引き上げると、入れ替えになり将也が落ちてしまう。下は川になっていたが、墜落の衝撃で血を流し意識を失った。

 

西宮の行動の真意

橋の上会議の後、皆の話す声は西宮には届かないが、皆の雰囲気や、その後将也の態度から、自分が皆をバラバラにし、将也の大切なものを壊してしまったと感づいていた。

「自分さえいなければ…」

その辛さに耐えかねて、西宮は自殺しようとしてしまう。奇しくも、将也と同じ選択をしようとするのだが、西宮のおかげで生きようとすることができ、自分と向き合うことがができた将也に助けられるのだが、その代償はとても大きかった。

将也は意識不明で入院しており、結弦と西宮ママは、看病に来た石田ママに会い、二人して土下座をするのだった。奇しくも小学校の時とは逆になってしまった。

病院の外では、植野は西宮に怒りをぶつけていた。そこに西宮ママが現れ、硝子を守るが、植野の怒りは収まらない。石田ママが駆けつけ、事態を収めるが、西宮は、石田ママの脚にしがみつき、声にならない声で謝るのだった。

それからというもの、植野は毎日のように将也の看病を続けた。実は昔から、密かに将也への思いを抱いていたのだ。西宮がお見舞いに訪れても、病室には入れず追い返すのだった。

 

西宮の決意

ある日、長束も将也のお見舞いに訪れ、西宮と出会う。例の如く植野に締め出された為、二人で話をすると、西宮は長束と筆談する中で、「私は石田くんの大切なものを壊してしまった。私が壊してしまったものをもう一度取り戻したい」と決意表明をする。
それから、事の顛末を友人達に話しに行く。皆西宮の行動を納得して、協力する。川井は相変わらずズレたいい子ちゃん反応だったが、後は最後の砦、植野だけだった。

毎日病院から出る植野を待ち、話ができるまで毎日待った。そしてある雨の日、やっと向き合えた。

その夜、西宮は不吉な夢を見る。将也がお別れを行ってどこかに行ってしまう夢だ。飛び起きた西宮は、いつもの橋の上に駆け出していた。当然そこに将也の姿はないが、西宮は声を上げて号泣した。

それと同時に、将也は目を覚ました。

管で繋がれた自分の身なりに驚くも、将也は飛び出していた。

辿り着いた先は橋の上・・・そこには地面に伏せて泣く西宮がいた。

目を丸くした西宮は、幽霊だと思い、体を突つき脚を見るが、脚はある。将也は生きていた。将也も、西宮が無事で安心した。改まって、将也は、小学生の時にいじめていたこと、怪我させたことを謝った。

西宮は、私のせいで将也が落ちた。私のせいで将也を苦しめてしまった。だから、自分が居なくなればいいと思ったと、泣きながら謝るが、将也はもう大丈夫だと答える。

将也も、西宮の夢を見ていた。想い合っていた二人だからこそでしょうが、将也も諦めようと思っていたが、「死」に値することじゃないと思った。皆にも謝りたいと言う。

将也は、西宮に

「君に、生きるのを手伝って欲しい。」

と手を握り伝えると、照れる将也と共に、笑い合いながら約束をした。

 

植野との仲直り

毎日看病に来ていた植野と話をする。こんな状態になっても、西宮のことを許せないこと。将也が落ちた時、引っ張り上げたのは嶋田たちだったこと。

「石田、おかえりぃ」

と言い、立ち去る植野の顔からはX印は取れていた。

そして、髪を切りに来ていた西宮ママは意識が戻った将也に謝罪し、さらに、結弦も来ていて、フォトコンテストに選ばれたこと。低い点数のテスト用紙を見せて、勉強を教えてほしいとお願いするのだった。

将也の周りは不思議と以前とは変わっていた。

 

学園祭

学校に復帰する日は学園祭だった。朝、挨拶の練習をして学校へ行く。西宮と待ち合わせ、一緒に学校へ入るが、相変わらず皆にはX印が貼られていて、前を向けなかった。意を決してクラスに行くと、クラスメイトが「石田くん!!」と驚く。すぐさま扉を閉めてトイレに逃げ込むと、長束が飛び出てくる。

心配になってトイレに駆けつけるが、長束の顔を見れない。

「石田くん!」

と大声を出すと驚いて目が合う。泣きながら将也に抱きつき、「君がいないと困る!」と弱音を曝け出す。今まではカッコつけた友情ごっこだったかもしれないが、長束も素を曝け出すことができた。トイレから戻ると、そこには川井と真柴がいた。川井は、千羽鶴を作ったが、数が足らず申し訳なく泣いたが、将也は喜んで受け取り、橋の上での事を二人に謝った。

物陰に植野が隠れていて、クサイやりとりに鳥肌が立ったと現れ、佐原もひょっこり出てきて、橋の上メンバーが揃う。

植野が西宮に、「そんな深刻な話してねぇよ!」と言うと、硝子は手話で謝る。「また謝った。まあ、それがあんたか。バーカ」と手話で答える。
驚く西宮だったが、手話を直し「バ・カ」と教えて笑うと、植野は逃げ出した。初めて植野を負かした瞬間だった。

そして、将也は「皆で学園祭を見て回りたい」とお願いする。

そこには、X印の付いた人だらけだったが、勇気を出して、耳を塞いでいた手を外し、顔を上げた。

そこには、色鮮やかで、心地の良い音があった。将也は、ひたすら泣いた。長いトンネルを抜け、今まで関わった友達の笑顔と、「聲の形」が見えるのだった。

聲の形で描かれた「いじめ」について

子供は時として残酷

もしも子供と大人を定義するのだとしたら、極端な言い方かもしれませんが、相手の気持ちがわからない、というより相手の気持ちを考えられないのが子供で、相手の気持ちを考えられるのが(成熟した)大人、と言えるかもしれません。(まあ相手の気持ちを考えられない未熟な大人もたくさんいますけどね…^^;)

だから、子供は時に残酷な事を言ったり、してしまったりします。そして、後悔するものです。しかし、やらかしてしまったことの解決方法や、解決するだけの力はまだありません。

そういう意味で、「時間が解決する」と言われるのでしょう。風化して傷が痛まなくなることと、解決させられる力を身につけるということ。解決できる力ができたなら、遅くなっても、向き合って解決させればいいのです。そういう大切さを、この作品は伝えているます。

 

いじめた側にも傷は残る

西宮をいじめていた将也が、心に傷を追っていたように、植野も将也に負い目を感じていた。そして、島田も、どこかで気にかかっていた。だから、将也が西宮の代わりに川に落ちてしまった時、将也を助けたのでしょう。

いじめられた傷があるのは当然ですが、傷付けた側にも、いじめられた傷とは違う傷があるものです。その傷を認識できていれば、向き合うことができます。認識できていなければ、きっと同等の傷を受けるようなことが起きるでしょう。

 

戦犯・小学時代の担任

いじめがあったことをわかっていたものの、見て見ぬ振りをしていた。学校教育において、いじめ問題はとても難しい問題だと思うので、これは仕方ありません。しかし、いざ問題が発覚した時に、立場が上の先生がいた為、高圧的に将也を吊るし上げたことで、将也はいじめられる側になった。

そして、西宮へのいじめはなくなったものの、西宮は転校し、将也へのいじめはなくならなかった。結局、表面的な対応しかせず、本質的な解決は何一つなかった。いじめは当事者によるものではありますが、学校においては、先生も重要な存在です。そういう意味では、将也達も被害者であったとも言えます。だからどうということはないんですけどね。ただ、忘れてはならないことの一つだと言えます。

 

将也の背景

この作品では、「父親」が出てきません。将也にも西宮にも父親がいません。特に、将也がやんちゃなガキ大将に育った背景には、父親がいなかったことがあるかもしれません。母親は美容師で、女手一つで働いていて、相手もあまりできなかったのでしょう。将也には姉がいますが国際結婚をしていて、「マリア」という姪っ子がいますが、将也が高校生になってからは、義兄のペドロはしばらく帰国していて、終盤帰ってきますが、そういう複雑な家庭環境が、将也を苦しめていたのかもしれません。また、なぜか「姉の顔」も出てきません。作為的な要因があるのかもしれませんが、意図的に描いているので、姉弟の間に何かがあり、将也が見ないようにしてるのではないかと推測してます。

 

聲の形 まとめ

見たくないから見ないでいたら、見たいものまで見えなくなる

将也は、いじめが原因で小学生以降他人にX印を付けて人の顔を見ないようにしていたが、最後に心を開いた事で、X印が外れ、将也の世界に色と音が戻った。ある意味、耳を塞ぎ下を見ていた事で、西宮よりも世界は狭かったでしょう。

しかし、心を開き、顔を上げたら、なんてことはない、素晴らしい世界だった。

心を開いて、見なかったものを見た時、それは決して美しいものだけではないかもしれません。醜い部分や汚い部分もあるでしょう。しかし、見たくないものを見ないでいたら、見たいものまで見えなくなってしまうものです。

この世界の物事には必ず「陰陽の両面」があります。どちらか一方だけを受け取ることはできないようになっています。でも、もう一つ抽象度の高い視点から俯瞰してみれば、そのどちらにも「等しい価値がある」ことが観えてきます。ある意味この世界は、醜いから美しく、美しいから醜くもあるんですよね。どちらか一方だけを見ることは不可能だし、醜いものをしっかりと見ることができ、受け止めるからからこそ、美しいものがより美しく見られるのでしょう。うわべしか見ない者には、所詮うわべなものしか映らないのです。

 

許されざるべきキャラ・天然系無自覚性悪女、川井

実は、メインキャラの中で、一人だけ向き合ってない女がいる。

それが、川井だ!

皆それぞれ、自分と向き合い、問題と向き合い、大なり小なり変わったが、川井さんだけは、そうは見えないんですよね。おそらく、自分だけ、その輪の中には入っていない、が友達、みたいなものを感じるのです。自分は加害者ではないという認識があるから、上っ面で物事を語り、自分は悪くない、という上から目線で、自分に優位性を持った友人関係を築いているように見えます。

みんなで遊園地に行った後日、クラスみんなの前で、石田君は西宮さんをいじめていた、と大声で話す事で、公開処刑状態となった。将也が「川井さんだって言ってたじゃないか」と言うと、「私は西宮さんにひどいことなんて言ってない!」と返す。しかし、「いじめ」というものにおいて、「何もしない」というのは、いじめた事と同義だろう。直接手を出したか、傍観していたかの違いで、むしろ傍観者の方が厄介でタチが悪い。

いじめに同意して、その実直接手は出さない。だから、自分はいじめていない、悪くない。いじめは他人事、というような所見を、川井さんからは受けるのです。

まぁ、下手にいじめに逆らうと、標的が自分に変わるということもあるので、難しいところではありますが、西宮を巡って、川井だけは、向き合うことすらできない訳です。

「自分は当事者ではない」という思いがあると、自分は無関係になってしまいますが、もしかしたら、そう思っていることの中に、向き合うべき事があるかもしれませんね。

私は、けっこう川井さんが嫌いです。ただ顔が可愛いだけですね。まあこういう人ってどこにでも必ずいますよね…^^;「いい子ちゃん」の典型です。いい子であろうとし、いい子でいたいと思っている。果たして「誰」に対しての「いい子」なのか。「いい子」なんて、誰かの都合のいい子でしかないのに。

なぜこんなに嫌いなのか考えると、どこか昔の自分に似ているのかもしれません。昔の自分も、「いい子」でいようとしていた気がします。心の奥にずっと違和感を抱えたまま、懸命にいい子を演じてきました。しかし、そこに本当の自分は見つけられませんでした。でも、そのままでもいられませんでした。成人してから色んな人と出会い、色んな経験をし、その中で、ダメな自分も認め、向き合ってきました。

少なくとも今の方が、本当の自分に近付いていると思っています。

もしかしたら、川井さんはそういうことを考えさせる「役割」なのかもしれませんね。そう思うと、少し川井さんが好きになりました(笑)

将也の救世主・結弦

忘れてはならないキャラが、西宮の妹、結弦です。最初こそ、将也をネズミ扱いし、硝子を守ろうとしていたが、いつの間にかなつき始めて、西宮との仲をとり持つようにもなりました。西宮ママとの関係も、結弦の存在が大きいでしょう。

西宮ママが、「硝子も結弦も、あんな子と付き合うんじゃありません」と言った時、「誰と付き合うかなんか、自分で決めるよ。俺も、姉ちゃんも。」と言うセリフがありますが、将也が西宮を傷つけていたことを知っていた上で、ちゃんと石田将也という存在と向き合ったからこその言葉でしょう。

中学生で、不登校でいて、おばあちゃんっ子でいながら、自分自身のことで悩んでもいるのに、ちゃんと自分と、嫌いな相手とも向き合って、自分の意志を貫く結弦は、まさに川井とは真逆の存在で、結弦がいなかったらこの物語は成り立ってはいないでしょう。

 

最後に

噂には聞いていた「聲の形」ですが、何度観ても胸を締め付けられ、涙が出てきます。好きな人のことはもっと知りたくなるように、この作品も、それぞれのキャラクターがどんなことを感じたのか思いを馳せると、観る度に胸が抉られます。

このコラムを仕上げるまでに1か月以上、10回は繰り返し観たと思いますが、まだ観たことがない方にはもちろん、一度しか観たことがない方にも、またコラムを読んでから観て頂ければ、何か違う発見があるのではないでしょうか?

誰しもが何かしら同じような経験をしたのではないかと思う、「青春あるある映画」と言えますが、今からでも、取り戻せる過去はあります。

自分の最も見たくない所と向き合うことは、勇気がいります。将也と西宮にとっては、それはまさに「命懸け」なほどです。お互い、自殺しようとしたことで、自分と向き合わざるを得ない状況に持っていきました。もしも、向き合わずに逃げていたら、死んで終わりだったでしょう。そこに何の感動もありません。自分と向き合う覚悟と勇気が、周りをも巻き込み、望んだ以上の結果をもたらす、大きな感動を生み出すエネルギーになるのでしょう。

まさに「神話の法則(ヒーローズジャーニー)」のヒーローの生き方です。

自分の人生に対して、「覚悟」と「決意」を持った存在は、誇り高き英雄です。その人は、自分の人生の、自分の世界の「神(創造主)」として、本来の自分を生きることが出来るようになります。

そして、そのような生き方を、本当は誰でも出来るのです。ほんの少しの勇気さえあれば・・・

この映画を通して、自分と向き合うこと、大切な人と向き合うことを、決して忘れないでいたいなと、心から思いました。

 



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